パルナス、もう一度かみしめて 懐かしさ「発掘」へ
「♪ぐっとかみしめてごらん ママのあたたかい心がお口の中にしみとおるよ」。ロシア民謡調のおなじみのCMと、「モスクワの味」のピロシキやケーキで関西人に親しまれたパルナス製菓。創業者の故・古角(こかど)松夫さん(1923~2004)は、人類初の有人宇宙飛行を達成したソ連のガガーリンと親交を持つなど、政治体制の異なる国との民間外交に熱意を燃やした。その足跡に光を当て、会社清算から来年で20年となるパルナスの魅力をよみがえらせる試みが進んでいる。
手がかり求め
兵庫県加西市に住む会社員の藤中健二さん(57)は3月末、大阪府島本町の数土(すど)清治(せいじ)さん(87)宅を訪ねた。数土さんは1969年から10年間、古角氏の求めでパルナスに勤め、70年の大阪万博でソ連館の「レストラン・モスクワ」の運営にも関わった。数土さんが保管していた当時の資料や写真に、藤中さんは「これは貴重ですね」と何度も口にした。
藤中さんは、関西圏で日曜朝のアニメ番組で流れたパルナスのCMを見て育った世代だ。加西市の歴史を検証するボランティアをしていたところ、古角氏も加西市出身と知り、2017年にパルナス復刻委員会を旗揚げして、本格的な「発掘」に取り組み始めた。
貴重な証言者の数土さんにたどり着いたのは、藤中さんが昨年末に神戸市の御影公会堂で開いた「こころばかりのパルナス展」がきっかけだった。ゆかりの品を展示し、当時のCM映像も流した。コロナ対応を気遣いながらだったが、1日で約300人が訪れる盛況ぶりだった。新聞で告知記事を見た数土さんが連絡をくれ、パルナス発掘の輪がまた一つ広がった。
「鉄のカーテン」超えて
数土さんは1枚の写真を残していた。大阪万博に備え、1969年8月にモスクワを訪れた時のものだ。古角氏の隣に写るロシア人女性は、かつて古角氏が教えを請い、「パルナスママ」と慕ったオージナさん。モスクワの国営製菓工場の主任技術者だった。古角社長は後に新聞エッセーで「お互いの職業に一番大切な材料は平和で、共に大切にしよう」とオージナさんに伝えたと書いている。
記事後半では、パルナスの伝統を受け継ぐ新しい試みを紹介します
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