事故の教訓、次世代へ 信楽高原鉄道事故30年
滋賀県甲賀市(旧信楽町)で1991年、信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車同士が正面衝突し、42人が死亡、628人が負傷した事故から14日で30年を迎え、両社は現場近くで追悼法要を開いた。事故を知らない世代が増えるなか、両社が安全第一の教訓を次の世代に引き継げるかが今後の課題となる。
法要は午前10時半から始まり、SKRの正木仙治郎社長(甲賀市副市長)とJR西の長谷川一明社長らが参列。黙禱(もくとう)し、慰霊碑に花を捧げた。
正木社長は取材に「安全第一の教訓を鉄道関係者に伝えていきたい」。長谷川社長は「事故を重い教訓として、安全最優先の原点を将来に受け継いでいきたい」と話した。
安全最優先の教訓 継承を模索
鉄道史に残る大事故は、輸送力増強のため、安全対策を後回しにして列車を運行したことが引き金となった。91年3月、単線だったSKR線に待避所が新設され、乗り入れるJR西の列車とすれ違いができるようになった。2カ月後、SKRの普通列車が赤信号を無視して駅を出発。信号が赤のまま変わらなくなったためで、誤出発の検知装置が働いてJR西側の快速列車が停止すると過信した。JR西側も、普通列車とすれ違っていないにもかかわらず待避所を通過した。両列車は正面衝突した。
SKR内に当時の社員は一人…
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