女性市長、孤独だったけど 主婦時代から「わきまえず」
「土井チルドレン」が政治の第一線から身を引く。兵庫県宝塚市の中川智子市長(73)。4月の次期市長選に立候補せず、退任する。「わきまえない」主婦として社会に声を届けた後、社民党党首だった故・土井たか子氏に請われ、衆院議員に。市長は2009年から3期12年務めた。これまでの活動を通じて次世代に何を残し、何を伝えようとしたのか。
初恋の男の子、「結婚できないよ」
――同性カップルの公的認定制度の導入や、「就職氷河期世代」対象の正規職員採用試験の実施など、全国に先駆けた取り組みが注目されました。発想の原点はどこにあるのですか。
原点は、中学2年まで住んでいた大阪府貝塚市での暮らしです。部落差別や在日コリアン差別など、当時はひどい差別があった。幼いきょうだいの面倒を見るために、学校を長期欠席する子どもたちがいたので、みんなで順番にコッペパンを渡しに行ってたのです。
小学5年の時、初恋の男の子がいたのですが、近所のおばちゃんに「好きになっても、あそこの子とは結婚できないよ」と言われました。「え?」ですよ。なぜなのか知りたくて、本を読んで、差別が起きた理由を知りました。
「臭い」といじめている子がいても、私は「いじめない」ということしかできない。救えない。歯がゆくて、早く大人になって平和で差別のない社会をつくりたいと思いました。
――「社会の隅に追いやられて声をあげにくい人のために働く」という一直線の道のりでしたか。
貝塚の後、横浜に引っ越し、若い頃は職場の仲間とベトナム戦争への反戦デモに参加していました。でも、一目ぼれした人(後の夫)を追いかけて来て、その後、兵庫県宝塚市に住み始めました。
私も勤めに出たのですが、石油ショックの影響で会社が人員整理をしました。働き続けたかったけど、妊娠して、辞めざるを得なくなりました。
徹底的に専業主婦になろうとしました。でも、社会と隔絶した時間が長く、子育ては楽しかったけど、だんだん自分のことが好きじゃなくなっていきました。
――その気持ちから抜け出したきっかけは。
学校給食問題への取り組みで…
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