日本の危機、自衛隊はそこにいる 震災対応した元幕僚長

有料記事東日本大震災を語る

聞き手 編集委員・土居貴輝
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東日本大震災で、自衛隊は最大10万人体制をとり、被災者の救援や放射線下での原発対処にあたった。「史上最大の作戦」を指揮した折木良一・元統幕長に当時の思いや教訓を聞いた。

――東日本大震災から10年たちます。自衛官トップの統合幕僚長として指揮した震災での自衛隊の活動をどう総括していますか。

 巨大な地震と津波による被害に、原発災害が重なり、非常に厳しい複合災害でした。特に東京電力の福島原発への対応もあり、国家的な危機だったと認識しています。自衛隊も最大時で10万人体制を組み、(一人の指揮官のもとに陸海空の部隊運用の指揮系統を一本化する)統合任務部隊を編成しました。災害派遣で初めてです。特に原発対応では、原発から(放射線量の高い)10キロ圏内にまで入って活動し、行方不明者を捜索しました。

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 自衛隊創隊以来の教育訓練、国内の災害派遣、海外の任務をやってきた経験、ノウハウが積み上がってきて、しっかり任務遂行できたと思っています。特に(1995年の)阪神・淡路大震災の経験が大きく、自治体との関係を積み上げてきたことによって東日本大震災でもうまく機能できました。現場の部隊がしっかり育っていたことが自衛隊の強みだと思うし、『戦う集団』として本来のあるべき姿です。

――原発への対応では、当時の想定より実際には、はるかに深刻で危険な状況だったことが分かってきています。

 福島第一原発では全電源喪失で給水、注水できない状況になり、3月12日の1号機の爆発、14日の3号機の爆発、15日の4号機の建屋の損壊とつながってきます。

 自衛隊としても統幕長の私自身も危機感を強く持ち始めたのは14日の3号機の爆発なんですね。あの爆発で、冷却作業を支援するため3号機の近くにいた陸上自衛隊員が被曝(ひばく)したり負傷したりしました。1号機に対応しているときには東電を含めた専門家がまだ(原子炉を)抑え込めると思っていた。ところが3号機で爆発が起きて、「これは大変なことになるな」と危機感の転換点になりました。

 ただ実際には、政府の報告書…

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