繰り返された「安全神話」 JCO臨界事故から20年

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福地慶太郎
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 日本の原子力施設で初めて被曝(ひばく)による死者を出した核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」の臨界事故から30日で20年。事故の背景にあったのは、東京電力福島第一原発の事故にも通じる「安全神話」だった。

 1999年9月30日午前10時35分ごろ、核燃料の原料をつくっていた茨城県東海村のJCO東海事業所で警報音が響いた。社員の大内久さん(当時35)がタンクに差した漏斗を支え、上から篠原理人さん(同39)がウラン溶液を注いでいた。「青い光」が突然見えたとされる。臨界が起きたことを示す現象だ。

 臨界とは、核分裂の連鎖反応のこと。ウランのような核燃料物質が核分裂を起こし、放出された中性子が、また別の核燃料物質にぶつかって核分裂が続く状態だ。ごくわずかな量の反応で大量の放射線と熱が出る。

 原子炉では意図的に臨界状態を保ち、放射線を閉じ込めながら大量の熱を取り出す。だが、JCOのタンクは溶液をかきまぜるためのステンレス容器。放射線を遮る対策はない。目の前に突如、「裸の原子炉」が現れたようなものだった。

 臨界は、一定量以上の核燃料…

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