(小説 火の鳥 大地編)12 桜庭一樹 政治犯を処刑してるぞ!

小説 火の鳥

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 夜もとっぷり暮れたころ、調査隊一同は成都に辿(たど)り着いた。

 深い緑の広がる風光明媚(めいび)な古都。家々も古路も灰色の石でできていた。背の高い街路樹が冬の風に揺れていた。川からの水音が響き、月光が夢のように青白く降り落ちてきた。

 水汲(く)みをしたり、古路に出した机で麻雀(マージャン)に興じたりする町民に混じって、軍服姿の国民党兵士、黒い毛皮を羽織ったロシア人商人、鬚(ひげ)モジャの顎(あご)をして機関銃を背負った軍閥集団なども、我が物顔で闊歩(かっぽ)していた。

 緑郎は難民を装ってゆっくり歩きながら、

「この町まではまだ戦争がきてないな。政治的にも様々な勢力が共存している……」

 と低くつぶやいた。

 その隣で、マリアがふと足を止めた。正人に「どうしましたか」と聞かれ、民家の庭を指差(ゆびさ)して、

「ミフクラギの木です。樹液は猛毒で、殺鼠(さっそ)剤に使われるんですよ」

「へぇ! ごく普通の木に見えるのに、こわいな」

 マリアは「ええ」とうなずき、うっすら笑った。

 この成都で一泊し、明朝からは飛行機で北を目指すことになった。

 芳子が「こういう町はおいらに任せろ」と請け負い、国民党勢力下の民宿を探してきた。汚れた顔を拭き、緑郎の銃剣の切っ先を鏡代わりに口紅もひき、「さて色仕掛けだ。おいら恒例のショータイムさ」と妖艶(ようえん)に微笑(ほほえ)んで民宿に入っていく。

 が、すぐ出てきて、おどろく緑郎に「だめだった! 相手にも好みってもんがあらぁ」と頭をかいてみせた。

 芳子が「ということは、キミが適任だよ」とマリアの背中を押す。マリアは「ズ、ズ、是了(ズーラ)……」と宿に入っていったものの、すぐ出てきて、「色仕掛けが理解できません」と首を振る。

 マリアに芳子が「こうして、こう笑って、こう頼んでおくれよ……」と教えている横を、ルイがすたすたと宿に入っていった。すぐ出てきて「大部屋を貸してくれるって」とあっさり言う。

 緑郎が芳子の頭を軽く小突き、

「この不良娘。なかなか笑わせてくれるな」

 芳子は「チェッ、参ったね」と苦笑した。そしてみんなと宿に入っていった。

 一同が暖炉の前で温まり、食事を取っている間に、芳子が外に出た。今度は暖炉の煤(すす)で顔を汚し、口紅も拭って男に化けた姿だった。しばらくすると戻ってきて、緑郎に「大将。飛行機だけどさ」とささやく。

「成都の飛行場は、主に中国国民党、旧ロシア商人の武器輸送に使われてるようだ。おいら、旧ロシア商人の小型飛行機を買収してきたぜ。明朝いちばん、北へ飛びたとう。国民党の兵士にばれないよう、こっそりな」

「うむ。ご苦労」

「蘭州、それとハミという町で、燃料補給する。ウルムチまでは飛行機で行ける。その先の死の砂漠は……おいらにゃ未知の世界さ」

「ウルムチからはマリアの出番だな。ヨシ……。ふわーあ! 明日に備えておまえももう寝ろ。不良娘」

 と笑うと、緑郎はゴロリと横になった。

 

 

  その三 プロメテウスの火

 

 さて翌朝。冬晴れの空が広がる中、一同は徒歩で郊外の飛行場に向かった。

 建物が減り、人も減り、畑や空き地が増えてくる。

 やがて、薄茶色の地面がむき出しのだだっ広い敷地に小型飛行機が何台か停(と)まっているのが遠く見えた。兵舎に似た平屋の建物も連なっている。

「あれが成都飛行場か。……むっ?」

 と、緑郎が足を止め、目を細めた。

 ほどなく、近くでパーンと乾いた銃声がした。一同はとっさに武器を握って構えた。芳子が「国民党が隣の空き地を使ってるらしいぜ」と囁(ささや)く。

 一同は油断なく歩き、飛行場の敷地に入っていく。

 芳子が駆けていき、パイロットらしきロシア人の男と何か話しだした。男はうなずいている。

 緑郎はうつむいて歩きながら、ちらりと空き地に目を走らせた。

 機関銃を手にした国民党兵士が五人。地面に打たれた杭に縛りつけられた男が二人。一人は胸から赤い血を流し、首をガクリと垂れていた。

 ルイが「政治犯を処刑してるぞ!」と正人に囁く。正人も「そ、そうだね……」と震える。

「おい正人。日本人だとけっして気づかれるなよ。ぼくとおまえも処刑されちまう……」

 と緑郎が弟に鋭く命じたとき。

 杭に縛られた男が顔を上げた。緑郎を見るなり日本語で、

「間久部くんじゃないか! おーい、助けてくれぇ!」

 縛られていたのは、苦悩にぐっと見開かれた目と大きな鼻をした五十がらみの小柄な男……猿田博士その人だった!

「さ、猿田博士!? 一体なぜここに……」

「なに、兄さんの知り合いかい?」

 緑郎がそれには答えず、はっと顔色を変え、

「まずい! 日本人だとばれたぞ!」

 兵士たちが、緑郎たちを見ながら何か話している。それから銃を構えて近づいてくる。

「走れ! 飛行機に乗りこめ!」

 と緑郎が叫ぶ。先頭を駆けながら、

「おい不良娘! パイロットに命じろ。飛行機を出せとな。エンジンを熱々にし、すぐ出発だ!」

 一同、全速力で走る。その背後から国民党の兵士が追ってくる。緑郎がいちばんに飛行機に飛び乗った。続いてマリアとルイもタラップを踏んだ。と……。

 飛行機の窓から外を見て、緑郎が目を剝(む)いた。

 正人は囚(とら)われの猿田博士のほうへ走っていっていた。「助けてくれ!」という博士の声も聞こえてくる。

 啞然(あぜん)とする緑郎の隣で、芳子がしみじみと、

「大将。あんたの弟、つくづくバカだな」

 と嚙(か)み締めた。それから、

「バカは好きだぜ。助太刀いたす!」

 と叫んで飛行機を飛び降りた。ルイも「あっ、皇女さまが……」とあわてて追っていく。

「ま、待て。おまえら……!」

 機内には、緑郎とマリア、パイロットが残された。

 兵士たちは、三人が正人たちを追いかけ、二人はこちらに向かってくる。

 緑郎は目を見開き、遠ざかっていく弟の背中をじっと見送った。それから「あいつともここまでか」と首を振った。

「扉を閉めろ! いますぐ飛び立て! 命令だ!」

「……ほんとうにいいんですか?」

 とマリアが静かな声で聞いた。

 緑郎は二本の指でマリアの顎をつかみ、顔をぐいっと近づけた。「この先はおまえがガイドだからな。奴(やつ)らがいなくてもなんとかなる。この際、二人仲良くやろうじゃないか。美人さん」とニヤリとする。

 マリアは湖のように青い目を細め、

「緑郎、あなたは相変わらずですね。自ら辺境の地に連れてきた弟を、こうも簡単に見捨てるとは」

「な、なぜ知ったような口をきく? 知り合ってまだまもないはずだが」

「いいえ、緑郎。わたしは……」

 とマリアが立ちあがった。

 飛行機の扉を開ける。凍える風が吹きこみ、亜麻色の髪をライオンの鬣(たてがみ)のようにたなびかせた。

 振りむいたマリアが、風より冷たく低い声で「あなたのことをよく知っています!」と囁く。腰に下げた武闘笛を引き抜き、タラップを駆け下りていった。上がってきた兵士二人のうち、一人の首の後ろを笛で打ち据えて倒し、すぐ跳躍して、もう一人が構えた機関銃を蹴って遠くに飛ばす。

 緑郎はその姿を見下ろし、啞然として、

「マリアとは何者だ? ぼ、ぼくは、君なんかちっとも知らん……!」

     ◇

〈あらすじ〉 上海を列車で出発した火の鳥調査隊は、南京から難民でいっぱいのジャンク船に乗り込み、揚子江をさかのぼる。軍用機が飛び交い、軍艦が行きすぎる、まさに日本軍中国軍がぶつかり合う地域に突入。近くを航行する船が機雷に触れて爆発、5人の潜む船も巻き込まれるが、みなとっさに水中に飛び込んで難を逃れ、別のジャンク船に乗りかえた。疲れと寒さでギリギリの状態にある5人だったが、中国大陸の雄大な自然と歴史を感じながら、なんとか旅は続いていた。

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