両親奪った墜落から30年 「教訓生きている」JAL機全員脱出に涙

有料記事

国方萌乃
[PR]

 名古屋空港中華航空機が墜落、炎上し、乗客・乗員264人が亡くなった事故から、26日で30年になる。絶望、怒り、苦悩――。様々な感情にさいなまれながらも、時を経て、安全を追求する航空会社の姿勢に「教訓は生きている」と希望を見いだした遺族がいる。

 テレビに映しだされた飛行機は燃え上がっていた。妻から連絡を受け、空港ロビーに駆けつけた当時39歳の酒井光男さん(69)=愛知県岡崎市=は「2人は助からないだろう」と覚悟を決めていた。

 1994年4月26日夜、台北発の中華航空140便が着陸に失敗。滑走路脇に墜落した。両親がこの便に乗っていた。2人で小さな手袋工場を営み、休日に近所の気が合う仲間とあちこち旅行へ行くのが楽しみだった。

 ようやく翌朝、格納庫に通された。一面に250人超の遺体が並んでいた。かけられた布を一枚一枚めくり、確認した。

 数時間かけ、父・貢さん(当時63)を見つけた。上半身が焼け焦げ、すぐにはわからなかったが、旅行のために新調した靴で確信した。背格好から母・千恵子さん(同61)もわかった。

 ほっとした。声をあげて泣いた。疲れ、悲しみ、一緒に自宅へ連れて帰れる安堵(あんど)感。いろんな感情がごちゃまぜになった涙だった。

なぜ十分教育せず操縦させた?募った怒り

 葬式をあげ、2人の工場を数…

この記事は有料記事です。残り1161文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら