(ナガサキノート)墓地に逃げ込み、暮らした1カ月

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森本類・32歳
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太田行一さん(1934年生まれ)

 思い出すと涙が出る。だから、妻や子どもにもほとんど話したことがない。

 長崎市恵美須町で床屋を営む太田行一(おおたこういち)さん(84)は、原爆に遭った日のことをそう語る。10歳の時、爆心地から2・5キロの西中町(現・中町)の自宅で被爆。原爆で家は失ったが、一家7人の命は助かった。太田さんは無傷だった一方、長崎駅に勤めていた姉は腕をやけどし、その痕が一生消えなかった。

 太田さん一家は、何かあった時の避難場所を近所の墓地に決めていた。太田さんは同じく自宅にいた妹の手を引き、必死に墓地を目指した。割れたガラスが散らばる道を裸足で駆けたが、痛みは感じなかったという。いわゆる「きのこ雲」を見た記憶はない。「空を見上げるような、そんな余裕なかもん。墓地にたどり着くのに必死やった」

 子どものころの話を聞くと、決まって苦笑を浮かべ、こう言った。「覚えとらん」。しかし、被爆直後に夢中で逃げた少年時代の記憶は、痛いほど鮮明なように感じられた。

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 太田さんは6人きょうだいの…

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