夏目漱石「吾輩は猫である」171

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 八っちゃんの泣き声を聞いた主人は、朝っぱらからよほど癇癪(かんしゃく)が起ったと見えて、忽(たちま)ちがばと布団(ふとん)の上に起き直った。こうなると精神修養も八木独仙も何もあったものじゃない。起き直りながら両方の手でゴシゴシゴシと表皮のむけるほど、頭中引き搔(か)き廻す。一カ月も溜っているフケは遠慮なく、頸筋(くびすじ)やら、寐巻(ねまき)の襟へ飛んでくる。非常な壮観である。髯(ひげ)はどうだと見るとこれはまた驚ろくべく、ぴん然とおっ立っている。持主が怒っているのに髯だけ落ち付いていては済まないとでも心得たものか、一本々々に癇癪を起して、勝手次第の方角へ猛烈なる勢を以て突進している。これとてもなかなかの見物(みもの)である。昨日は鏡の手前もある事だから、大人(おとな)しく独乙(ドイツ)皇帝陛下の真似(まね)をして整列したのであるが、一晩寐れば訓練も何もあった者ではない、直ちに本来の面目(めんもく)に帰って思い思いの出(い)で立(たち)に戻るのである。あたかも主人の一夜作りの精神修養が、あくる日になると拭(ぬぐ)うが如く奇麗に消え去って、生れ付いての野猪(やちょ)的本領が直ちに全面を暴露し来(きた)るのと一般である。こんな乱暴な髯をもっている、こんな乱暴な男が、よくまあ今まで免職にもならずに教師が勤まったものだと思うと、始めて日本の広い事がわかる。広ければこそ金田君や金田君の犬が人間として通用しているのでもあろう。彼らが人間として通用する間は主人も免職になる理由がないと確信しているらしい。いざとなれば巣鴨(すがも)へ端書(はがき)を飛ばして天道公平君に聞き合せて見れば、すぐ分る事だ。

 この時主人は、昨日紹介した混沌(こんとん)たる太古の眼を精一杯に見張って、向うの戸棚を屹(きっ)と見た。これは高さ一間(けん)を横に仕切って上下とも各(おのおの)二枚の袋戸をはめたものである。下の方の戸棚は、布団の裾とすれすれの距離にあるから、起き直った主人が眼をあきさえすれば、天然自然ここに視線がむくように出来ている。見ると模様を置いた紙が所々破れて妙な腸(はらわた)があからさまに見える。腸には色々なのがある。あるものは活版(かっぱん)摺(ずり)で、あるものは肉筆である。あるものは裏返しで、あるものは逆さまである。主人はこの腸を見ると同時に、何がかいてあるか読みたくなった。今までは車屋のかみさんでも捕(つらま)えて、鼻づらを松の木へこすりつけてやろう位にまで怒っていた主人が、突然この反古紙(ほごがみ)を読んで見たくなるのは不思議のようであるが、こういう陽性の癇癪持ちには珍らしくない事だ。小供が泣くときに最中(もなか)の一つもあてがえばすぐ笑うと一般である。主人が昔しさる所の御寺に下宿していた時、襖(ふすま)一と重(え)を隔てて尼が五、六人いた。尼などというものは元来意地のわるい女のうちで尤(もっと)も意地のわるいものであるが、この尼が主人の性質を見抜いたものと見えて自炊の鍋をたたきながら、今泣いた烏(からす)がもう笑った、今泣いた烏がもう笑ったと拍子を取って歌ったそうだ、主人が尼が大嫌(だいきらい)になったのはこの時からだというが、尼は嫌にせよ全くそれに違ない。主人は泣いたり、笑ったり、嬉(うれ)しがったり、悲しがったり人一倍もする代りにいずれも長く続いた事がない。よくいえば執着(しゅうじゃく)がなくて、心機がむやみに転ずるのだろうが、これを俗語に翻訳してやさしくいえば奥行のない、薄(うす)っ片(ぺら)の鼻(はな)っ張(ぱり)だけ強いだだっ子である。既にだだっ子である以上は、喧嘩(けんか)をする勢で、むっくと刎(は)ね起きた主人が急に気を換えて袋戸の腸(はらわた)を読みにかかるのも尤(もっとも)といわねばなるまい。第一に眼にとまったのが伊藤博文(いとうはくぶん)の逆(さ)か立(だ)ちである。上を見ると明治十一年九月廿八日とある。韓国統監もこの時代から御布令(おふれ)の尻尾(しっぽ)を追っ懸けてあるいていたと見える。大将この時分は何をしていたんだろうと、読めそうにない所を無理によむと大蔵卿(おおくらきょう)とある。なるほどえらいものだ。いくら逆か立ちしても大蔵卿である。少し左の方を見ると今度は大蔵卿横になって昼寐をしている。尤もだ。逆か立ちではそう長く続く気遣(きづかい)はない。下の方に大きな木板(もくばん)で汝はと二字だけ見える、あとが見たいが生憎(あいにく)露出しておらん。次の行には早くの二字だけ出ている。こいつも読みたいがそれぎりで手掛りがない。

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