筆者がまだ駆け出しのころ。活版職人だった弊社OBが、ある文字のことを「ナオチョク」と呼ぶのを耳にしました。
 ナオチョク?
 一瞬とまどいましたが、話の前後から、「直」の字をそう言ったことがわかりました。

 → 文字@デジタル「チョウコクのチョウって?」

 「朝日新聞の用語の手引」新版(2015年3月、朝日新聞出版)に収録している「読み合わせの字解き例」には、「直」の字解きとして「素直のナオ」「まっすぐのチョク」が挙げられています。このほか、職場では「直線のチョク」なども使われていますが、少なくとも「ナオチョク」を使っている者は、現在、社内にはほとんどいないと思います。

 かつて新聞が鉛の活字で作られていた時代、活版部の職人たちの間では、独自の字解き法が使われていました。その多くは漢字の訓と音を組み合わせたもので、「直」を表す「ナオチョク」もそのひとつでした。

■「活版よみ」をとどめた一覧

 ここに、過去の社内資料のコピーがあります。表紙には「活版←→編集 文字の呼び方対比一覧」とタイトルが掲げられ、下の方に「昭和54年7月 朝日新聞東京本社活版部」と記されています。

   写真・図版

 朝日新聞東京本社で、新聞製作が活字からコンピューターに移行し、活版部がその役割を終えたのは1980(昭和55)年のこと。この資料はその前年、長く活版職場で使われてきた字解きをまとめたものです。

 朝日新聞の社内で使われていた字解きには、大きく分けて二つの流儀がありました。活版部で使われてきた方式と、記事の入力や送稿を担う部門(朝日新聞では「連絡部」と称していました)で使われてきた方式です。
 社内の組織でいうと、活版部が「印刷局」に属していたのに対し、当時の連絡部は技術系ながら記者たちと同じ「編集局」に所属していました(その後、技術部門である「制作局」に移りました)。記事の入力や送稿は取材部門と密接な仕事であり、かつては各県の支局にも記事を入力し本社に送稿する連絡部の「パンチャー」が常駐していました。そのため、校閲を含む編集局各部の記者にとっては、連絡部員による字解きがお手本でした。

 活版部の字解きの大部分が「訓・音」を続けていうパターンだったのに対し、連絡部を含む編集局では、「朝日のアサ」のように代表的な熟語を用いて伝える方法が中心でした。メンバーがほぼ固定されている活版職場に比べ、人の入れ替わりが多い編集部門では、経験が浅くてもなるべく理解しやすい字解きのほうが好都合だったのでしょう。現在、校閲センターなどで使われる字解きも、多くは代表的な熟語を使うものです。

 活版部が作ったこの「文字の呼び方対比一覧」は、活版部と連絡部がそれぞれ使っていた字解きを、文字ごとに並べて対比させた資料です。活版部からみると連絡部は編集部門の一員であるため、この資料では連絡部の字解きを「編集よみ」と呼んでいます。
 コンピューター製作への移行で活版部がなくなるのにともない、多くの活版部員が他の部署に異動することが決まっていました。この資料を作っておけば、活版部員たちが連絡部の字解きを覚えるのにも役立つ ―― 資料冒頭の「はじめに」の中で、当時の活版部長はそんなふうに作成のねらいを述べています。

比留間 直和(ひるま・なおかず)

1969年生まれ。学生時代は中国文学を専攻。1993年に校閲記者として入社し、主に用字用語を担当。自社の表外漢字字体変更(2007年1月)にあたったほか、社外ではJIS漢字の策定・改正にも関わる。現在、朝日新聞メディアプロダクション用語担当デスク。