名前の「彰」の字を電話で伝えようとして「表彰状のショウ」というと、ときどき「賞」に間違えられてしまう。身内の一人がそうこぼしていました。電話の相手が「ヒョウショウジョウ(表彰状)」と「ショウジョウ(賞状)」を混同してしまうのでしょう。声による説明だけで漢字を的確に伝えるのは、案外難しいものです。

 新聞社では、文字を口で説明して相手に伝える場面がしばしばあります。名簿などの発表資料を正しく入力できているか点検する際には、2人1組で「読み合わせ」を行います。片方が「字解き」をしながら読み上げ、もう片方が聞きながら手元の資料と合っているか確認します。
 どう言えば他の字と紛れることなく、相手にきちんと伝わるか。校閲を始めとする社内の各職場では、一定のノウハウが積み重ねられてきました。

■いでよ、国民的ハジメさん

 「チョウコクのチョウ」。そう聞いて、どんな字を思い浮かべますか。
 新人のころ、校閲の先輩との読み合わせでこう言われ、慌てた思い出があります。表しているのは彫刻の「彫」でも、超克の「超」でもありませんでした。
 答えは「肇」。先輩は「肇国(ちょうこく)のチョウ」と言っていたのでした。「肇国」とは、「はじめて国を建てること。建国」(大辞林)。今日ではめったに見ない言葉ですが、かつては新聞の見出しにもしばしば登場していました。

写真・図版

 1940(昭和15)年7月に第2次近衛内閣が閣議決定した「基本国策要綱」には、《皇国の国是は八紘を一宇とする肇国の大精神に基き世界平和の確立を招来することを以て根本とし先づ皇国を核心とし日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設するに在り》とうたわれました。新聞でも、戦時中は「大東亜共栄圏」実現に向けたスローガンとして、「肇国の精神」「肇国の理想」といった言葉が使われていました。
 いま「チョウコク」と聞けばふつう「彫刻」を思い浮かべますが、当時、新聞用語としてはむしろ「肇国」になじみがあったのかもしれません。「肇国のチョウ」は、戦後も「肇」の字解きとして校閲部門などで使われ、そして筆者の周りでは今日まで生き延びています。間違いを防ぐため「国をはじめる肇国のチョウ」と言うように教わった、という者もいます。
 こうした字解きは仲間うちの符丁のようなものですから、「正解」や「標準」が決まっているわけではありません。職場によっても違いがあります。大事なのは、どういう言い方であれ、その字であることが相手にきちんと伝わることです。

 「肇」の字解きで「肇国の…」よりも広く使われてきたのが、クレージーキャッツのリーダー・ハナ肇さんの名前です。誰もが知る国民的有名人であり、しかもフルネームのうち漢字は「肇」だけなので表記を思い出しやすく、この字の説明にはまことに好都合でした。
 しかし、ハナ肇さんが亡くなって今年でもう23年。最近入社した若い記者たちは、「ハナ肇のハジメ」と聞いてもピンと来ないようです。

比留間 直和(ひるま・なおかず)

1969年生まれ。学生時代は中国文学を専攻。1993年に校閲記者として入社し、主に用字用語を担当。自社の表外漢字字体変更(2007年1月)にあたったほか、社外ではJIS漢字の策定・改正にも関わる。現在、朝日新聞メディアプロダクション用語担当デスク。