■企業統治は経営の根幹
コーポレートガバナンス(企業統治)は、経営の根幹です。帝人グループでは、こうした考えのもと、かなり早い時期からコーポレートガバナンスの強化に取り組んでおり、その体制には一定のご評価をいただいています。帝人グループのコーポレートガバナンスは、元社長の大屋晋三さんを抜きには語れません。通算27年間にわたり社長を務め、その間に国会議員となり、大臣も歴任。とにかくスケールが大きい社長でした。
1960年代は合成繊維の黄金時代。繊維メーカーは、どこも高い収益力を誇っていました。帝人はポリエステル繊維「テイジンテトロン」が好調で、広告看板が国内の主要駅だけでなく、香港にも出されており、当時の人気テレビドラマ「逃亡者」も帝人の提供でした。
◆チャレンジする雰囲気
1965年、大学で繊維工学を専攻していた私が帝人に入社したのは、チャレンジする雰囲気が気に入ったからです。当時の売上高は2千億円ほどだったと思いますが、大屋社長は1969年に「売り上げ2兆円構想」を打ち上げ、「未来事業部門」を設置して、超多角化路線を推し進めました。次第に繊維での競争が激しくなっていくことが予想されたことから、「脱繊維」の方向もめざしたのです。
未来事業は「衣食住」に関わる事業を手がけるということでした。でも、よく考えてみるとそれは生活のすべて。繊維メーカーなので「衣」は分かりますが、「食」では、牛肉の輸入販売、冷凍食品の製造・販売、ブラジルやマダガスカルでの牧場経営まで手がけました。日本の食糧危機に備えるという大構想です。さらには住宅事業や、化粧品の訪問販売、外車の輸入販売、原油の採掘などの事業にも乗り出しました。
その中にあって医薬事業は残り、その後、在宅医療事業を加え、現在はグループの中核を成すヘルスケア事業として大きく育っています。しかし、あまり手を広げると、台所事情が苦しくなります。ポリエステル繊維での収益を、多角化経営に費やした結果、帝人は一時倒産寸前の財務状況に陥りました。
大屋さんが社長在任中の1980年に85歳で亡くなると、続く2代の社長は10年がかりで赤字事業を整理し、財務体質の強化に努めました。80年代といえば、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われ、日本中がバブル景気にわいた時代です。ところが、そのころの帝人は縮小均衡。社員のモチベーションは低下しました。
こうした状況に危機感を抱き、「チャレンジだ。グローバル企業になろう」と旗を振ったのが、97年に社長に就いた安居祥策さんです。
◆積極経営とコーポレートガバナンス
日本中がバブルにわくなか、堅実経営に努めていたので、資金的には余裕がありました。そうした中で米化学大手デュポンとポリエステルフィルムのグローバル合弁を設立したり、オランダのアラミド繊維事業の買収などを進めました。そして、このような積極経営と同時に手がけたのが、コーポレートガバナンスの改革です。
ワンマン社長は確かにカリスマ性がありますが、道を誤ると会社をつぶしかねません。そのことを帝人は身をもって知っています。そこで1999年、安居さんは、社長に物を言える人たちを外部から招き、「アドバイザリー・ボード」(経営諮問委員会)を設けました。
当時の構成は、外部の有識者4人(現在は5人)と会長、社長。有識者のうち2人は日本人でしたが、グローバル企業をめざすことにしましたので、あとの2人には外国の方に加わっていただきました。一人はデュポンの元最高経営責任者(CEO)のクロール氏。もう一人は、英国のコーポレート・ガバナンスの礎を築いたハンペル委員会の委員長、ハンペル氏です。
もちろん、アドバイザリー・ボードは現在も変わらず大きな役割を担っており、毎年、春と秋に定例の会合を開いています。次の社長選びにもかかわる重要な機関です。詳しくは次回ご紹介することにします。(聞き手・永田稔)