■公明正大な後継者選び
後継者選びは、社長の大きな仕事の一つです。ただ、内輪の論理だけで判断したのでは、道を誤ってしまうことがあります。帝人の「アドバイザリー・ボード」(経営諮問委員会)は、その後継者選びに透明性と公正さを与えています。
帝人のアドバイザリー・ボードは1999年6月に発足し、外国人2人を含む社外の有識者5〜6人と、会長、社長で構成されています。そのアドバイザリー・ボードの承認を得て選任された最初の社長が、実は私なんです。
2001年11月3日にそのアドバイザリー・ボードは開かれました。会合が終わり、東京・芝公園のフランス料理店でメンバーの皆さんとの夕食会があったのですが、それが午後9時ごろにお開きとなり、常務取締役だった私がメンバーを送り出すと、当時の安居祥策社長から「ちょっと飲もうか」と呼び止められました。
2人でブランデーを注文すると、安居さんが話し始めました。「人間ドックで舌がんが見つかってなあ、手術せないかんのや。手術したら、話せなくなるかもしれん。話せなかったら、社長は務まらん。だから、君が社長になってくれ」
私はびっくりしましたが、安居さんはさらに畳みかけてきます。「もう逃げられんで。今日のアドバイザリー・ボードでみんな賛成してくれたんやから。12日の取締役会で正式に決める」。そこまで言われたら、「分かりました」と受け入れるしかありません。
取締役を1年務め、常務に昇格して半年足らず。一足飛びに社長を務めることになってしまいました。でも、振り返ってみると、思いあたる節はありました。
◆選考作業に5年
アドバイザリー・ボードは春と秋に定例の会合があります。そこに役員が呼ばれ、与えられたテーマについて、20分ほど英語でプレゼンテーションします。私はそこに3回呼ばれたのですが、要するに後継者としての力量があるかどうか、試されていたわけです。
私の後継者もアドバイザリー・ボードで決めました。社長に就任して1年後、6人の候補者を示し、5年かけて選考作業を進めました。もちろん誰が候補であるかは極秘です。07年11月の会合で、私は最終的に大八木成男さんを後継者として提案し、メンバー全員が賛同してくれました。
アドバイザリー・ボードは、社長の報酬も決めます。目標に対して結果がどうだったか、それを評価してもらうのです。また、そのほかにも、経営全般について様々な助言を受けます。つまり、アドバイザリー・ボードは、「外の目」で経営を見てもらうための仕組みなのです。
◆企業統治の基本
コーポレート・ガバナンス(企業統治)の基本は、健全性、継続性、成長性の3要素を、いかに実現するかということではないでしょうか。そして、それらを実現するには、透明性が高く、迅速かつ公正で、説明責任を果たすような経営が求められます。それを具現化する仕組みがアドバイザリー・ボードであり、社外取締役、社外監査役だと考えています。
自社の常識は、社外の非常識ということもある。だから、基本的なことでも社外に問いかけるのです。
私のモットーは「公明正大」です。これは、私が通っていた小学校のクラスの名前とも関わりがあります。韓国で生まれた私は、2歳で終戦を迎え、家族と日本へ引き揚げてきました。母の田舎の広島に身を寄せていましたが、英語教師だった父が京都で職を見つけ、引っ越すことになりました。そして、4年ほど京都で暮らした後、再び父の仕事の関係で、今度は兵庫県の丹波篠山に移り住みました。
当時、小学3年生だった私は、篠山町立篠山小学校に転校しました。そのときのクラスが「公組」。公明正大の「公」で、6年生までずっと公組でした。とても教育熱心な学校で、1年生から6年生まで「真善美聖」「礼悌恭愛」など、熟語をクラス名にしていました。今は学級数が減り、四字熟語とはいかないようですが、漢字のクラス名の伝統は受け継がれているようです。
経営には透明性、公正さが必要だと言いましたが、これは私が子どもの頃から学んできた生き方そのもののような気がします。(聞き手・永田稔)