メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

現在位置:
  1. 朝日新聞デジタル
  2. 記事
2012年9月20日10時10分

印刷用画面を開く

この記事をスクラップ

このエントリーをはてなブックマークに追加

〈仕事のビタミン〉小方功・ラクーン社長:7

写真・図版

小方功(おがた・いさお)1963年生まれ、北海道出身。北大工学部を卒業後、大手建設コンサルタント会社勤務。起業を目指して脱サラし、93年に現在の「ラクーン」を創業する。衣類や雑貨のネット問屋というビジネスモデルで06年に東証マザーズ上場。竹谷俊之撮影

■何より大事なもの、それは給与

 東京・狛江市のアパートで始めた小さな貿易会社が私の起業の原点だと話しました。そこで私は地元の商工会に入りました。視野を広げたいというのが理由でした。

 同年代の起業家は、都心の外資系コンサルタント会社がやっているようなセミナーに通う人も多かった。でも、私は地元の土建屋さんや洋服屋さんら小さな企業の先輩経営者がたくさんいる商工会が学びの場でした。これは正解だった。

 商工会では最年少。かわいがられました。「なんだお前、33歳か」とか言われて、毎晩のようにごちそうになって。いや、ごちそうしてもらったことが正解だったんじゃなくて、そこで聞く話の数々。

 セミナーの講義は、立派な良い話が多いでしょう。商工会のオヤジたちが飲みながら話してくれたのは、そんなに立派できれいな話ばかりじゃなかった。リストラしなきゃいけなかった話とか、商談での駆け引きとか。でも話が生きていて、そこに「現実」があった。

 ある社長は、従業員にボーナスが払えなかったと涙をこぼしました。社長ってもっと強欲で、会社の業績が悪ければボーナス払わないなんてなんとも思わない人種かと思っていた。でも、間違いでした。この先輩たちから、私は経営者の矜持(きょうじ)や基本を学びました。だからこそ、ある時、とてもショックなことが起きたんです。

◆「今月、待ちます」

 前回、問屋との連絡ミスから会社が倒産の窮地に陥った話をしました。そのとき、私は流通業界を悩ませている「在庫」というものの怖さを知り、同時に、ここに新しいビジネスチャンスがあるように感じました。

 脱サラしたのは、若者が希望を持って集まってくる会社をつくりたかったから。資金集めのために貿易で起業しましたが、どこかで新しいビジネスへの挑戦が必要だと思っていた。流通在庫の解消は良いヒントだと思ったのです。

 流通の仕組みを一から勉強し直すと共に、試しに通販会社が持っている在庫を引き取り、自分で売ってみることを始めたんです。いわゆるアウトレットみたいな形で、貸店舗で売ってみた。夜は毎晩、日が回るまで模造紙にああでもないこうでもないと、仮説を書き込んで分析しました。夢中でした。でも、これがいけなかった。本業の貿易業がおろそかになっていた。

 当時、数人のパート社員を雇っていました。あるとき、一人が私に「社長、今月の給料待ちますからね」と言ってきたのです。ドキッとしました。彼女は帳簿をつけてくれていた。確かによく見たら、その月の給与を払えないぐらい会社の資金繰りはピンチに陥っていたのです。

 頭をよぎったのが、商工会の社長たちの言葉です。会社が万一つぶれたとして、債権者でも従業員の給料には手がつけられない。「経営者にとって従業員の給料は一番大事。死守して払わないといけない絶対的なものだ」と教えられていた。

 だから「給料待ちます」の一言はショックでした。

 サラリーマン時代に、もしもの時のためにと思って作っておいた3枚のクレジットカードがあった。それを持って現金自動出入機(ATM)に走りました。3枚とも使って限度額までキャッシングしました。それで、ともかく彼女たちの給料を払った。

◆苦肉の策の露天商

 内心、怖かった。借金ですから。すぐに返す算段を立てました。

 本業の貿易をたてなおすには時間がかかる。実験的にやっていた洋服の在庫販売を真剣にやって、返すしかないと思いました。

 会場代ももったいない。悩んだ末、事務所ビルの前の路上で売ろうと思い立ちました。狛江の駅前のビルで、1階にはケーキ屋とやきとり屋が入っていました。その前に段ボールを広げて洋服を売ろうというのだから迷惑な話です。でも、事情を説明すると両店とも「良いよ」と言ってくれました。

 いざやると、洋服は驚くほど良く売れました。駅前で人通りが多いから、貸店舗なんかよりよほど売れた。これでまた首の皮がつながりました。

 余談ですが、このとき、ケーキ屋とやきとり屋に何か少しでも役に立てないかと知恵を働かせ、両店で使える100円のクーポン券をつくったんです。洋服を買ってくれた客に1千円ごとに1枚渡す。客が使ったクーポン券を、私が夜、買い取りに行く仕組みです。

 客を呼び込む仕掛けになり、両方の店に喜ばれた。うわさを聞きつけた商店会長からも、怒られるどころか「若いのに感心だ」と褒められた。

 そういうときの地元のネットワークって温かいものですね。うれしくなってクーポンが使える範囲を広げたら、話題が市長の耳にも入り、表敬訪問まで受けました。もとは苦肉の策で始めたのに……。

 その後、ラクーンは狛江から引っ越しました。ネット問屋というビジネスモデルに行き着いて上場した2006年、私は久々にケーキ店を訪れました。ショーケース内に並んだケーキを「全部下さい」と言って車の荷台にのせ、会社に帰ってみんなで食べた。心に残る味だったのは、言うまでもありません。(聞き手・和気真也)

検索フォーム

朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介

アンケート・特典情報