■流通革命、カギは「問屋」
「問屋」と聞くと、どんなイメージを持ちますか。雑多な商品であふれた倉庫? 伝統的な商売? ラクーンはネット上で問屋を開く会社です。
主軸になるのが「スーパーデリバリー」という会員制サービスです。衣料・雑貨メーカーは自社製品を詳しい説明と共にネット上に「陳列」し、小売店は自分の店に置きたい商品を選んで「仕入れ」ます。参加者の多くは中小零細企業。メーカーは1千社、小売店は3万店が参加し、30万点の商品が取引されています。成立した商談に応じた手数料と月額会費が、私たちの収入です。
なぜ、このビジネスモデルを思いついたか。伏線があります。
93年に脱サラし、輸入販売を始めました。中国の健康食品や雑貨を扱っていましたが、日本の流通業の不合理な商習慣に苦しみました。小売店に売ったはずのモノが返品されてきたり、リベートを要求されたり。なんでこんなことになっているのかと。
◆僕らが憎いのか
仲良くなった小売店に「僕らが憎いのか」と半分本気で聞いたことがあります。
でも、そんなはずはありません。実は、小売店も、この仕組みに疑問を感じながら、古い商習慣を引きずっていました。
究極は、メーカーは必要なモノを、必要なトキに、必要なバショへ、必要なブンだけ、移動させたい。小売店も売れそうなモノを、売れそうなトキに、売れそうなブンだけ、手にしたい。
カギは「問屋」にあると私は思いました。
問屋はメーカーと小売店の商売に必要な三つの機能を備えます。商品を届けてくれる「物流」、新商品や売れ筋を教えてくれる「情報」、そして仕入れ代金を一時的に肩代わりしてくれる「金融決済」の機能です。これは、近江商人や廻船問屋などが育てた、日本の古き良き商人の文化です。
問屋にも課題はあります。色んな人が色んな商品を持ち込みますが、問屋は自社の建物でサンプル展示できる商品しか扱えない。買い付けに来る何万店もの小売店の趣味趣向は本来バラバラなのに、選択肢が狭まります。
そこで、私は考えました。持ち込まれた商品を全部見せて、小売店が好きに選べる仕組みができないか。インターネットの世界ならスペースに制限はないな。しかもネット取引なら、メーカーがサンプルを持って全国行脚する手間も、地方の小さな洋服店が週に1度店を閉めて都会へ仕入れに行く手間も、省けるな……と。
そう考えたのが97年ごろ。インターネットが本格的に普及する前です。しかも、発想は良くても、実際にメーカーや小売店が参加できる仕組みにするまでに試行錯誤を重ねました。複数のセット販売が当たり前のメーカーに、1個ずつ売ってもらう了承を取り付けたり、小売店にも1個から送料を支払うよう説得したり……。それまでの業界の「常識」を、少しずつ譲歩してもらいました。
資金や人材を蓄え、やっとスーパーデリバリーを始められたのが2002年。2010年に与信管理ができる会社を買収して決済機能を高め、理想の形が整ったと言えるのはつい最近です。
◆感謝と支払いは同じ
こんな話をすると、マスコミの方には「中小のメーカーや小売店のためによく頑張りましたね」なんて言われたりします。正義感からやったと言って欲しそうに。
ん……? ちょっと違います。何度自問自答してみても、私はそんなに良い人ではない。人助けの感覚でやった覚えはありません。
もともと私は、土木設計のエンジニアだったんです。元の会社は、橋や道路の設計を手がける大手コンサルタント会社。課題に対して仮説を立て、科学的に解決を試みるのがエンジニアです。その目から見て、混沌(こんとん)とした流通業界は、挑みたくなる対象でした。
もし、流通革命なんてことが成しえたら、その時は友達や息子に自慢できる。「どうだ俺たちやったんだぜ」って。人助けというより、そんな感覚です。
ただ、一つ言えるとすれば、人が「ありがとう」と言うのと代金を支払う行動は、限りなく同じだと思っています。「ありがとうと言ってくれる人からしか代金をもらわない」というのが、この会社のど真ん中。それが出来ていれば、会社も取引先ももうかり、従業員が笑い、会社の評判は上がるという好循環ができます。
先輩経営者には「ロマンチストだね」なんて笑われることもありますが、幸い、一緒にやりたいと言って来てくれる若者がいる。社員はいま130人ぐらいです。その多くは5階建ての本社で働いています。
もともとは、家賃3万円のアパートの1室で、1人で始めた会社でした。それはまた、お話ししましょう。
(聞き手・デジタル編集部 和気真也)