2011年12月26日12時03分
■信賞必罰よりも懐深さ
「信賞必罰」=手柄のあった者には必ず賞を与え、あやまちを犯した者は必ず罰すること。(三省堂『大辞林』)
元は韓非子に由来するこの四文字熟語はよく使われている。企業社会においても使われることが多い。例えば、「信賞必罰の人事制度」「信賞必罰の評価システム」。
だが、私は、この言葉があまり好きではない。「信賞」はともかくとして、「必罰」の持つ言葉の響きが強すぎるからであってそのままでは企業社会における有用な統治原理とはならないであろうと感じるからである。
法令・諸規則に違反もしくは抵触した者や社内規定に違反した者が、公的な処分や社内処分を受けるのは当然であるし、そのような罰則体系の存在が違法・不当行為の抑止力になる。
しかし、法令・諸規則に違反・抵触せず、社内規則にも違反・抵触せず、発生した仕事上のミスはどうであろうか。企業社会における現実とは、人間の所作であるがゆえにそのようなミスや失敗は始終発生しているということである。
もちろん仕事上のミスも大小様々であり一律に論じることはできないが、そのような「あやまち」に対してすべて「必罰」という態度で接しているとどうなるのであろうか。
このような場合の「必罰」には抑止力があるであろう。しかし、それ以上に働いている人たちの「手がかじかむ」という副作用の方が大きくなるのではないか。失敗を恐れて挑戦をためらうようになるのではないか。
◆部下が大失敗
もう20年以上前のことになるが、筆者が課長時代のことである。部下が大きな失敗をした。部下の失敗は当然上司の失敗でもある。ある事業会社が発行予定の転換社債のクーポンレートを誤って計算した結果(当時は格付けや時価総額等を考慮した計算によって自動的に発行条件が決まる時代であった。したがって絶対に計算を間違えてはいけない)、その誤った条件で会社側は発行決議を行って対外発表してしまったのである。
前代未聞のことである。直ちに発行会社側に報告・協議のうえ、改めて正しい条件で発行決議をし直してもらった。
問題はここからである。上司である役員に報告に行った。温厚な紳士であるその役員は激怒していた。
愛煙家であるその人は、普段部下の報告を受けながらたばこを一本取り出し、たばこの吸い口側を机にトントンと軽くたたきながらにこやかな表情で対応するのが常であった。
しかし、その時はたばこの代わりに机上にあった定規を手にして机をトントンとたたき始めた。次第に音が強まっていく。ついに数十センチの高さから振り下ろされた定規は轟音(ごうおん)とともに机上でまっぷたつに割れた。
突然訪れる静寂。役員は静かに「今後どうしたらいいかは自分で考えろ」と言った。
他の役員のアドバイスもあって、3日後に「始末書」なるものを上司の役員に提出した。生まれて初めて書いた始末書である。
役員はその始末書を一瞥(いちべつ)して、「僕はこういうものは受け取らないよ。いい記念だから君が自分のデスクに入れておいて今後の糧としたらどうだ。それより今回の失敗を組織的にどう生かすかが重要なんだから、何ができるか考えた方がいい」と言った。
◆失敗から生まれたマニュアル
失敗の当事者である部下と考えた。彼は、今回の失敗にかんがみて「転換社債発行実務マニュアル」をつくります、と言った。
素晴らしい着想だと思った。当時、詳細な実務マニュアルはどこを見ても存在していなかったからだ。彼はほとんど独力で大部のマニュアルを作成した。睡眠時間や休日の余暇を削っての作業であった。
それでも3カ月かかった。部下とともに出来上がったマニュアルを役員に提出した。役員は、たばこの吸い口を机にトントンと打ちつけながら穏やかな表情で一言、「いいものができたねえ」と言った。
思わず落涙した。
企業社会において失敗やミスを防ぐことは極めて重要である。しかし、企業における日常運営は人間の営みである以上、失敗やミスは決してなくならない。起きてしまった失敗やミスにどう対処するかも極めて重要である。「必罰」で表現される紋切り型の対処ではなく、懐深い対処こそが求められているのではないだろうか。
今日起きてしまった失敗を明日の前進につなげること。そこに上に立つ者の真面目(しんめんもく)がある。