■青春の屈託
イーグルスの「ニュー・キッド・イン・タウン」を聴きながら牧之原台地を疾走していると、助手席に座った1年上の先輩が「おい、ここは日本のキャリフォルニアだぜ」と叫んだ。
カリフォルニアに行ったことのないはずの先輩の言葉ではあったが、なぜか説得力があった。開け放した窓から入ってくる初夏の風が心地良かった。
独身寮に帰り着くと、早速憂鬱(ゆううつ)な気分になった。翌日は月曜日であり、仕事のことが頭をよぎった瞬間に気分が沈むのである。
2人で飲みに行く。定番の会話になる。会社の悪口だ。「やってられないよなー」と先輩がつぶやく。「そうですね」と返す。しばらくするとこちらが「やってられませんよねー」とつぶやく。先輩が「やってられないぜ」と返す。
◇
文脈的には意味のない会話であっても、気分は共有されていくものだ。会社的には歓迎されないような気分であっても、それを共有することによって当人たちは日々の現実に何とか向かい合っていたのだ。
寝食をともにするとは、このような状態を言うのであろうか。
泥酔して田んぼに転落したのを助け上げてくれたのは先輩だし、太っ腹の総務課長の裁量で給料を前借りしたのは2人一緒だ。会社をサボって、喫茶店や映画館やサウナで時を過ごすのも一緒だった。
2人で組んで農家に投資信託の勧誘に行くと、先輩は必ず作柄の話から始めた。時間がかかること、この上ない。「もっと単刀直入にいきましょうよ」と言っても、「営業は相手の立場に立つことから始まる」と言って聞かない。不器用ともいえるが、生真面目でもある。
そして、その生真面目さはやがて花が開くことになる。
「やってられないよなー」という言葉が表現しているのは当人における屈託である。その青春の屈託こそが会社生活の出発点であった。
先輩の屈託のよって来るところは明白であった。
1人の女性の存在である。大学時代から付き合ったその女性と遠く離れて暮らしていることが屈託の原因であった。それが仕事上の屈託も倍加させた。
自分の屈託とは何だったのだろうか。それは極めて一般的なものだったように思う。会社という組織の押しつけがましさや、本音でなく建前で公式の会話が行われる世界の窮屈さから来るものである。
ただ自分の場合は、仕事の面白さも一方では感じていたから、先輩に比べれば屈託の程度も軽かった。「そうはいっても仕事、頑張りましょうよ」と言って、先輩を激励することも度々であった。
先輩の屈託は、ある日突然消失した。愛する人との結婚が成ったのである。
それから着実に先輩は仕事のできる男に変身していった。会社生活において屈託そのものを出発点としながらもそれを前向きなエネルギーに転化していった先輩にはすごみがあった。
◇
数年たった。本社で隣の部署同士の勤務となった。当方は当時大スランプであった。要領の良さが災いして、仕事をなめていたのだと思う。たまりたまったつけの解消に苦しんでいた。
仕事がうまくいかないことから来る屈託を山ほどかかえていた。先輩は「バリバリ仕事しようぜ」とこちらの肩をバンバンたたきながら、顔を見るたびに激励してくれた。自分にとってはそのようなカラッとした作法がありがたかった。僕たちは確実に何かを共有していた。
ある時、働き詰めに働いているように見えた先輩と、久しぶりに2人で飲みに出た。二軒目の店で、つい聞いた。
「そんなに働いて大丈夫なんですか」
「大丈夫だ。夜遅くてもいくら酒を飲んでも、朝5時半に起きて、熱いシャワーを首筋に10分間あてているとだんだん頭がはっきりしてくるんだ。それで万全だぜ」
◇
いくら30代とはいっても睡眠不足や累積疲労が体に良いはずがない。先輩は会社人生を短い時間に凝縮して、駆け抜けていってしまった。
亡くなってもう22年が経つ。
青春の屈託の共有から始まった僕たちの会社人生。だからこそ、その後の何かもが共有できたのだと思う。
僕は先輩から何かを受け継いだ人間として今ここに存在している。もし僕が先に逝っていたら、逆に先輩が何かを受け継ぐことになっていたのだろう。
偶然と必然が交錯するのが人生だ。しかし、偶然にして彼岸・此岸(しがん)の世界に分かれてしまった以上は、必然的に、共有し、受け継いだ何かを自分のうちに育みながら走り続けるしかない。
その何かとは、言葉にして表現することは大変難しいが、「男としての気分」のようなものであったと思う。
それは確実に今も自分の中に息づいている。そのことを誇りに思う。
先輩の奥様だった人は、今、学校に通う学生である。先輩が亡くなった後、人生を自分で切り開いてきた人だ。
いただいたメールにはこうある。
「遠い昔、静岡で、3人がただのバカな若者だった時代を共有していなければ、その三十数年後、現在の時間を決して味わうことはできなかったと思います。バカな若者時代は、必要不可欠な時間だったと思います」
今では、あの頃のことも笑って話せる。