(声)終戦後もサイレン音に反応した

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 無職 江坂顕二郎(千葉県 81)

 74年前の8月、私は大分・佐賀関国民学校の2年生だった。学校で勉強した記憶はほとんどない。毎日のように警戒警報や空襲警報が鳴り響いた。急いで家へ帰り、1歳にならない弟をおぶって防空壕(ごう)に飛び込む。その繰り返しだった。

 玉音放送で終戦を知った時の安堵(あ…

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