墜落現場になった名古屋空港、周囲は市街地 「対策十分か」今も不安

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伊藤智章
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 264人の犠牲者を出した名古屋空港愛知県豊山町)の中華航空機墜落事故から、26日で30年が経つ。関係者はいまもあの衝撃を忘れられない。2005年に空港管理の主体は国から県に交代。市街地にある空港の「もしも」のための対策は十分か、地元の不安は消えない。

 「民家の上に墜落しなかったのは、奇跡じゃないか」。直後に現場に入った愛知県警捜査1課の元刑事原田稔さん(82)は思った。バラバラの機体から炎が上がり、自衛隊員ら1千人以上が救助にあたった現場は空港の南端。200メートルほど先には民家もあった。

 奇跡的に空港の外でけが人は出なかったが、墓地にタイヤや部品が飛び込み、墓石を倒した。

 「強烈な熱風が吹いてきたんだ」。現場近くに住む林光彌さん(79)は、外に飛び出した際の情景を覚えている。その時、頭をよぎったのは、米軍機が近くの民家に墜落し、9人が死傷した1955年の事故だ。遊び友達が亡くなった。

 名古屋空港は、44年に旧日本陸軍が建設した。戦後、米軍管理時代に拡張を続け、民間と航空自衛隊の「軍民共用」として使われている。周囲は市街地だ。中華航空機事故の原因は操縦ミスなどとされたが、住民も危険と隣り合わせの現実を改めて実感させられた。

県営になってからの変化、地域住民の気がかり

 2001年には離陸直後の民間機から部品が落ち、民家の屋根などを直撃した。07年にも空自機が離陸に失敗し、炎上した。

 空港敷地の一部が入る愛知県…

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