能登でいかす仮設建設のノウハウ 三陸の職人集団、地震直後から奮闘

能登半島地震

東野真和
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 2月下旬、石川県七尾市の住宅地の一角。雨の中、プレハブ仮設住宅54戸の建設が大詰めを迎えていた。

 職人たちが3日後の引き渡しに向けて、渡り廊下の設置を急ぐ。

 岩手県大槌町の建築・土木業、田中興業から声をかけられ、集まった三陸沿岸の職人たちだ。

 互いに顔なじみで、担当以外の仕事も声を掛け合ってこなす。少人数の仕事に慣れていて、工程に無駄がない。2011年の東日本大震災で被災した経験を持つ人も多い。

 大槌町で工務店を営む上野貴大さん(32)は、従業員と5人で現場に入った。「今の仮設住宅は壁に断熱材が張り巡らされ、仕様は格段に良くなっている」。震災で自宅が流され、町内の仮設住宅で過ごした経験がある。

 七尾市の現場には、隣の富山県に設けられた宿舎から、1時間以上かけて通う。就業30分前の午前7時半には到着し、事前の準備をする。「避難所暮らしのつらさはわかる。早く建ててあげたい」と仕上げに余念がない。

 資材の調整を一手に担う岩手県釜石市の佐野和公(かずひろ)さん(50)は、震災で兄の妻子ら4人を亡くした。「東北はもうだめだ」と言われるのに腹を立て、復興事業に携わろうと、東京からUターンした。「石川県の同業者に聞くと、震災の時に東北で仕事をしたという人もいる。やってもらったことはお返ししなければ」

 2人を連れてきた田中興業の田中龍也社長(52)も、被災経験を持つ。津波で会社が流された。残ったのは数台のトラックだけ。がれきの中から社屋に掲示してあった建設業の許可証を見つけ、「またやれってことか」と再起を誓った。頼まれたことは何でもやった。そして、仮設住宅の建設や復興工事の足場造りを請け負うようになった。

 仮設住宅の建設は、完成させるまでのスピードが求められる仕事だ。現場周辺は被災し、作業的に不向きな場所が多い。資材を置ける場所を探し、くい打ちから仕上げまで、それぞれの作業に必要な職人を確保。職人のための弁当を手配し、燃料の調達などをする雑用係も必要だ。機動力が問われる。

 田中社長は16年の熊本地震や、18年の北海道胆振東部地震でも仮設住宅の建設や撤去に携わってきた。能登半島地震では、その時の元請け会社から声がかかり、発生から5日後には、総勢約30人の職人を招集し、現場に入った。東北での復興事業にめどがつき、職人はあっという間に集まった。

 田中社長は今、七尾市のほか石川県輪島市など計6カ所で、仮設住宅の建設を請け負う。仕事は少なくとも6月まで続く。

 富山県などから通う職人たちの負担を思うと、現場近くに、寝泊まりできるキャンピングカーなどを借りようかと考えることもある。だが、被災者が仮設住宅に入るまでは、お預けだ。「被災者より前に自分たちが楽するわけにはいかないからね」東野真和

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