大杉漣を支えた故郷の友、今も後悔 「オーバーワーク止めていれば」

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武田肇
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 つづら折りの坂道が、天に届くかのように切れ目なく続く。「この先に人が住んでいるのだろうか」。不安がよぎったその時、視界が開け、茶畑に囲まれた古民家が現れた。

 徳島県三好市山城町上名(かみみょう)の標高630メートルの一軒家。ここで、2003年11月に映画「村の写真集」の撮影があった。

 ダム建設計画が持ち上がった架空の「花谷村」の人々の絆を、頑固な写真館主と東京から帰郷した息子の関係を軸に描き、国際映画祭でグランプリに輝いた作品だ。

 当時52歳だった藤原学さん(72)は、鳴門市の自宅から車で2時間かけて、スタッフを含めて数十人が集まった撮影現場に駆けつけた。

 本職は連合徳島の役員で、映画の世界とは無縁。目的は「ゴンタクレ実行委員会」の代表として、俳優の大杉漣(れん)さんに差し入れを届けることだった。

生涯で800本以上の映画やドラマに出演した大杉漣さんには、故郷徳島に幼なじみの親友がいました。2月で7回忌を迎えるのを前に、大杉さんとの思い出や心情を聞きました。

 話は藤原さんの幼少期までさかのぼる。紀伊水道に面した港町・小松島市で生まれた藤原さんは、近所に住む大杉さん(本名・孝、たかし)と「たかっちゃん」「まなぶちゃん」と呼び合う親友同士だった。

 誕生日は5カ月違いで、学年は藤原さんが一つ上。大人たちに「ゴンタクレ(阿波弁で、悪ガキ)」と呼ばれながら、日が暮れるまで駆け回った。

 高校は別々で、藤原さんが大学進学で先に上京したため一時疎遠に。だが翌年、新宿駅西口であった70年安保闘争の集会で互いにヘルメット姿で偶然再会し、大杉さんのアパートで明け方まで語り合ったことで友情が復活した。

「ピンクリボン賞」を受賞した友

 大学卒業後、藤原さんは徳島…

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