夏目漱石「吾輩は猫である」217

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 「今の人の考では一所にいるから夫婦だと思ってる。それが大きな了見違いさ。一所にいるためには一所にいるに充分なるだけ個性が合わなければならないだろう。昔しなら文句はないさ、異体同心とかいって、目には夫婦二人に見えるが、内実は一人前なんだからね。それだから偕老同穴(かいろうどうけつ)とか号して、死んでも一つ穴の狸(たぬき)に化ける。野蛮なものさ。今はそうは行かないやね。夫はあくまでも夫で妻はどうしたって妻だからね。その妻が女学校で行燈袴(あんどんばかま)を穿(は)いて牢乎(ろうこ)たる個性を鍛え上げて、束髪(そくはつ)姿で乗り込んでくるんだから、とても夫の思う通りになる訳がない。また夫の思い通りになるような妻なら妻じゃない人形だからね。賢夫人になればなるほど個性は凄(すご)いほど発達する。発達すればするほど夫と合わなくなる。合わなければ自然の勢(いきおい)夫と衝突する。だから賢妻と名がつく以上は朝から晩まで夫と衝突している。まことに結構な事だが、賢妻を迎えれば迎えるほど双方とも苦しみの程度が増してくる。水と油のように夫婦の間には截然(せつぜん)たるしきりがあって、それも落ちついて、しきりが水平線を保っていればまだしもだが、水と油が双方から働らきかけるのだから家のなかは大地震のように上がったり下がったりする。是(ここ)において夫婦雑居は御互の損だという事が次第に人間に分ってくる。……」

 「それで夫婦がわかれるんですか。心配だな」と寒月君がいった。

 「わかれる。きっとわかれる…

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