見切りをつけられた自由民主主義 「欧」と「米」に満ちる怒りの正体

有料記事

[PR]

神里達博の「月刊安心新聞+」

 先週、米副大統領のバンス氏が、ミュンヘン安全保障会議に出席した。ウクライナ戦争の終結へのプロセスについて語ると予想されていたが、演説の内容は欧州諸国への激しい批判に満ちていた。彼は、欧州が直面する最大の脅威はロシアや中国ではなく「内部」から来ると述べた。またEUのSNS規制を念頭に「言論の自由が後退した」と非難したのだ。

 彼は政権内で「行政改革」を進めるマスク氏にも言及、これは冗談だと前置きしつつ「米国の民主主義が(環境活動家の)グレタ・トゥンベリ氏からの叱責(しっせき)に10年も耐えられたのなら、皆さんも数カ月はイーロン・マスク氏に耐えられるはずです」と言った。ほぼ、誰も笑わなかった。

 私たちは「欧米」という言葉をよく使う。「欧」と「米」が色々な点で似ているからだろう。政治的には自由主義と民主主義が融合した「自由民主主義」と呼ばれる考え方が、共有されていると私たちは理解している。

 しかしどうやらそこに、深刻なヒビが入っているようなのだ。何故、そんなことになったのだろうか。

 19世紀は「自由主義の時代」だったとされる。経済的には自由貿易体制と金本位制が、また政治的には普通選挙と議会主義が確立していき、政教分離の徹底なども進んだのだ。自由主義は多面的だが、その本質は個人を社会の基本的構成単位とすることであり、個人の権利や内面の自由を重視する。

 一方、民主主義は一般に、組織における意思決定を構成員が自ら行う理念や制度を意味する。また決定への参加の権利は、全ての構成員に平等に付与されることが求められる。

 だが、個人の自由と、民主的な決定に基づく公的な権力の発動は、容易に矛盾し衝突する。従って「公私の線引き」が重要な課題となるのだが、それは多様な考え方がありうる。ともかく自由と民主、出自の違うこの二つの思想は、最初から適切に融合・均衡していたわけではない。

 実際、自由になった個人の活動によって資本主義が拡大すると、看過できないほどの経済的な格差が生じた。資本主義が社会を壊したのだ。その結果、20世紀に入ると全体主義や社会主義が勢いを増した。

 そして周知の通り20世紀の自由民主主義陣営=「西側」は、まずは全体主義を倒し、次に冷戦で社会主義体制に勝利する。これをもって、自由民主主義こそが政治体制の完成形態だと語られた時期もあった。米国の政治学者フクヤマは、それを「歴史の終わり」と形容したのである。

 だが本質的には矛盾を抱える自由民主主義が、一定期間、なんとか作動したのは、ある種、歴史の偶然による産物だったという指摘もある。

ここから続き

 まず自由は、経済活動の自由…

この記事は有料記事です。残り1136文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【春トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら