「硯」はいつからあったのか 文字社会成立の証拠めぐり、学会で議論
日本列島が文字社会に突入したのはいつか。その証拠とされてきた遺跡出土の「硯(すずり)」が全国で急増し、弥生時代や古墳時代にさかのぼるとの見方が注目されている。ところが近年、それに待ったをかける見方が相次ぐ。文字文化の起源をめぐり、その行方が揺れ始めた。
人類社会に飛躍的な発展をもたらした文字の使用。古代日本に漢字がいつ流入したかは、国の成立や社会の発展にかかわる重要テーマだ。その手がかりが遺跡から出土する石製の硯。古代律令制度など文書行政に欠かせない筆記用具で、文字とともに大陸からもたらされた。
近年、国学院大教授を務めた柳田康雄さんや福岡市埋蔵文化財センターの久住猛雄さんは、これまで砥石(といし)や用途不明とされてきた弥生時代や古墳時代の出土品を改めて検討し、精力的に研究を進めてきた。その結果、中国漢代の硯との類似などを根拠に、墨をする「板石硯」が多く含まれると判断。弥生時代の田和山遺跡(松江市)を皮切りに、「魏志倭人伝」記載の伊都国の故地、福岡県糸島地方や大阪府泉南市など認定例は西日本を中心に増え続け、すでに300例ほどにのぼるという。
ところが近年、これにブレーキをかける慎重論が相次いで噴き出している。
昨秋の日本文化財科学会では…