バスケ部の補欠からプロへ あきらめの悪い選手が挑む「第二の人生」

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保坂知晃
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 元プロバスケット選手の楯(たて)昌宗さん(35)の財布には1枚の古いテレホンカードが入っている。約20年前から、ずっとだ。

 カードには、岐阜県関市で過ごした中学時代のバスケット部の集合写真が印刷されている。

 同県中津川市出身。小学4年からミニバスケットを始めた。プロを夢見て、中学でもバスケ部に入った。

 十数人いた新入部員でミニバス経験者は数人。身体能力とスピードには自信があった。「すぐに試合に出してもらえるだろう」と楽観していた。

 それから3年間、ベンチで苦汁をなめることになるとは思わなかった。

 3年生でもらった背番号は9番。負けたと思えない同級生らが自分より若い番号をつけていた。試合には出してもらえなかったり、数分で交代させられたり……。

 ある日、ミニバス時代に同じチームだった同級生に言われた。

バスケをあきらめそうになったとき、楯さんは財布からテレフォンカードを取り出し、奮い立たせてきたといいます。

 「楯君って小学生のときは上手だったけど、中学になってからダメだね」

 起用しない理由について、監…

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