「自分は爆弾」19歳の特攻兵 母が託した4文字の言葉

有料記事戦後75年特集

華野優気
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 真夏の太陽が容赦なく照らす熊本・天草の砂浜。

 75年前の7月、自らが掘った、大人がやっと入れるほどの穴で、19歳だった河本富夫さん(94)=岡山市東区=は分隊長の号令を待った。爆弾に見立てた5キロほどの丸太を背負い、体は汗と砂にまみれていた。

 沖縄戦に敗れ、本土決戦をにらむ守備隊での「特攻訓練」。かけ声で一斉に穴を飛び出し、標的へ一直線に突進する。「敵」は戦車に見立て、木や竹で手作りした塊だ。爆風とともに散るための訓練。これを連日、繰り返した。

 「敵は戦車で攻めてくる。我が軍に大砲はない。諸君は爆弾を抱えて攻撃をかけてもらいたい」

 自らが「特攻兵」だということは、岡山から熊本へ到着した直後、同じ年頃の200人ほどが整列した際の訓示で知らされた。

 「命令されたらその通りにするしかない。こうして死ぬのがわしの運命なんじゃと、不思議と納得しとりました。怖いなんて感情がなかったのは軍に洗脳されとったから」

     ◇

 この1カ月前。岡山師範学校の男子部で学んでいたときに召集令状が届いた。「ついに来たか」。同じクラスの40人ほどの同級生はもう半分ほどになっていたから、うっすら覚悟はあった。

 日章旗を師範学校に持参し、友人らに寄せ書きをしてもらった。今も手元にある縦70センチ、横1メートルほどの布には〈忠勇義烈〉〈信念に生きよ〉といった勇ましい言葉の数々が並ぶ。

 その中に短く、控えめに書かれた一言がある。

 〈母は祈る〉

 自宅に持ち帰った旗に、目が不自由だった母・雅枝(つねえ)さんがおじの手を借りて懸命に書いた。息子の死を覚悟する一方、無事を祈らざるを得なかったのだろう。

 西大寺駅で汽車に乗り込む自…

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