給料下がっても日銀辞める 「冗談でしょ」反対の妻に夫は
安定した日銀マンのキャリアを40代で捨て、ベンチャー企業に転じた男性がいる。
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「フィンテック?」
日本銀行に勤めていた神田潤一さん(48)に、金融庁に出向せよという内示があったのは2015年8月のことだ。着任は5日後だった。
神田さんが東大を卒業して日銀に入ったのは、バブル崩壊から間もない1994年。金融機関に立ち入り、経営実態や財務状況を点検する「考査」の仕事を長く担当した。
フィンテックといわれても全くの専門外で、ピンとこなかった。フィンテック業界じたいがまだ黎明(れいめい)期で、ニュースになることも少なかった。内示が出て慌ててネットで検索してみたが、やはりよくわからない。金融庁でも前任者はいないということだった。
静まりかえった会場で
出向から1カ月。「フィンテック協会」という業界団体が設立されることになった。担当する官庁の代表として、設立式でのあいさつを頼まれた。
都内の会場には企業経営者ら約150人が集まり、ビールを片手に和やかな雰囲気で談笑していた。
ところが、神田さんが「金融庁」の人だと紹介されたとたん、場内は静まり返ってしまった。この政府の人間は敵か、味方か――。参加者たちのそんな思いを反映したのか、重苦しい空気が会場を覆った。
〈このままでは良い関係を築けない〉
そう思った神田さんは、とっさにある行動に出た。
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