(社説)地下鉄サリン事件30年 教訓共有し、語り継ぐ大切さ
いつもと変わらぬ日常が暗転したあの日のことを忘れるわけにはいかない。
オウム真理教による地下鉄サリン事件から20日で30年となる。都心の日比谷線など3線の列車で散布された猛毒で14人が死亡、6千人以上が負傷した無差別殺人は世界に衝撃を与えた。実行犯は、かつて真面目に勉学に励んでいた若者らだった。
なぜ彼らは教団に引き寄せられ、凶悪犯罪に走ったのか。事件が投げかけた問いに向き合うことが重要だ。
■多角的な検証が必要
事件は約2カ月前に起きた阪神大震災とともに、社会に多くの変化をもたらした。
政府は首相官邸に危機管理センターを設置した。信教の自由や結社の自由など基本的人権が議論になるなか、団体規制法が成立し、無差別大量殺人を実行した団体への立ち入り調査権が定められた。
前年に松本サリン事件などの予兆がありながら、警察は宗教団体への強制捜査に踏み切れず後手に回った。広域捜査体制の見直しも迫られた。事件後の大量摘発には別件逮捕との批判も受けた。
テレビ出演を繰り返す幹部信者の言動は結果的に教団の宣伝となり、メディアも教団との距離感が問われた。
残念なのは、これほどの事件でありながら、政府や国会による検証や総括が十分になされていないことだ。
教団元代表の松本智津夫元死刑囚ら元幹部13人の死刑は18年に執行された。元死刑囚は法廷でほぼ沈黙を続け、なぜ弟子が毒物製造や散布にまで至ったのか、真相の解明が尽くされたとは言えない。
医師免許をもつ元医科大生や大学院で素粒子論を研究していた元東大生、早大で応用物理を学んでいた元研究生ら。元幹部らは、凶悪犯のイメージとは落差がある。宗教や社会心理学、テロ対策など各分野の専門家による多角的な検証を続けねばならない。
■今も続く勧誘活動
先月、専修大学で事件の教訓について考える大学生らによるフォーラムが開かれた。事件後に生まれた世代が、自ら調べた結果を発表し、意見をかわした。教員志望の玉川大学の3年生の男性は「地下鉄サリンは歴史上の出来事ではなく、その影響は現在にもつながっていることを考えてほしい」と呼びかけた。
別の学生は被害者が今なお後遺症に悩んでいると報告。「私たちもいつ勧誘を受け、影響が及ぶかわからない。当事者意識を持ち後世に伝えていくことが重要」と述べた。
公安調査庁によると、教団は宗教法人格を失った後も信者らが活動を続け、後継・派生団体「アレフ」「ひかりの輪」「山田らの集団」として存続する。15都道府県に30の拠点施設があり、国内で約1600人の信者が活動。ヨガのサークルなどを通じて勧誘をしており、新たな加入者の多くが10~20歳代という。
過去が今にどうつながっているのかを学ぶことは、教訓を生かす一歩となる。
同庁は先月、ホームページで「オウム真理教問題デジタルアーカイブ」を公開した。職員が約1年かけて写真や動画、被害者の手記を集めた。
発生日に640人を治療した聖路加国際病院の石松伸一院長の手記には、対応に苦闘した様子がつづられている。
夫を亡くした高橋シズヱさんらも「地下鉄サリン『テロ』事件の記憶」というサイトを開設した。生の記録がもつ力は大きい。関係省庁も資料を保存して公表に努め、風化防止に尽力してもらいたい。
被害者らは先日、迅速な被害救済のためアレフが支払い義務を負う賠償金約10億円の債権を国が買い取って回収するよう法相に要望した。被害者の高齢化は進む。何の落ち度もなく巻き込まれた人の救済策がどうあるべきか、考える契機としたい。
■単純な解を求めない
事件当時はバブル経済が崩壊し、時代の転換点にあった。社会情勢は異なるが、根拠のない陰謀論が流布される今も、極端な主張が影響力を持つことがある。その空気は悩める若者がオウムに傾倒した時と重なってみえる。
ネットの普及は様々な思想の拡散を容易にした。カルトや独善的な考えに触れるリスクはむしろ高まっている。
実行犯で唯一、死刑を免れ無期懲役となった林郁夫受刑者は心臓外科医だった。著書『オウムと私』で入信前の心境を書いている。「現代の科学が避けていたり、あるいはただ考えていても解けないような問題を解決してくれる法則があるはずだ」
人は壁にぶつかると単純な世界観に没入しやすいともいう。自己実現の道に迷い、目の前の現実から逃げたくなることは誰にでもある。カルトはその弱さにつけ込み、分かりやすい解を示して引き込んでいく。周りの人に相談することや、自分は大丈夫だと思い込まないことが重要だ。
遺族の悲しみは深く、心や体の傷も癒えていない。凄惨(せいさん)な事件の記憶を次世代に継承し、考え続けたい。二度と同じ事が起きないように。
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