ネット時代だからこそ読書で教養 「世界を把握」は幻想でも
いつのまにか「あの本くらい読んでおかなきゃ」というせりふを聞かなくなった気がします。戦前戦後を通じて人々の憧れと気後れをかき立ててきた「教養」は、どこへ行ったのでしょうか。教養や論壇、文壇について深掘りしてきた批評家の大澤聡さんに、教養の今とこれからについて聞きました。
「教養」は公的な共同体に参入するためのツールでもあります。社交の潤滑油として機能します。幼いころ美術館やコンサートによく連れて行ってもらったとか、本がたくさんあったとか、家庭環境に依存する側面が大きい。
それに対して「教養主義」は、そうした環境になかった人が、読書や勉学の努力を通じて事後的にそれを獲得していこうとする、そのプロセス自体を指します。
本を読むことで教養を形成するという価値観は、近代だからこそ成り立っていたのかもしれません。
インターネットによってあらゆるものが可視化された現代では、世界は無限に広がっていて、全てを把握するなんて無理だと事前にわかってしまっています。
しかし、手に入る情報が限られていた時代には、必読リストを読破すれば世界の全てがわかるはずと思い込めました。冊数が限られ、頑張ればゴールまで行けそうな気がするからこそ挑む気になれたのでしょうね。
本には目次があります。1章…