(社説)袴田さんの無罪確定へ この不条理から何を学ぶ
この理不尽を、どう救済できるのだろう。
58年前の一家4人殺害事件で死刑が確定していた袴田巌さん(88)の再審で、静岡地裁が言い渡した無罪判決が確定する。検察側がきのう、控訴しないと明らかにした。
誤った判決によって、袴田さんは半世紀近く自由を奪われ、死刑執行を恐れて心を病んだ。この上ない人権侵害を起こした関係機関が今後、はたすべき責務は重い。
■検証と真摯な謝罪を
再審判決が認めたのは、袴田さんの無罪だけではない。
警察、検察が連携した非人道的な取り調べで虚偽の自白をとり、有罪の中心的証拠とされた衣類5点も捜査機関の捏造(ねつぞう)だったなど、見過ごせない指摘をしている。
この点について、検事総長談話は不満をあらわにしているが、再審開始を決定した二つの裁判体も同様の指摘をしたことを忘れたのだろうか。
捜査、公判、再審手続きで何が起きたのか。警察・検察当局は、関係者や当時の記録をたどって検証を尽くさねばならない。袴田さんへの真摯(しんし)な謝罪がない限り、失われた信頼は戻らないだろう。
裁判所にも検証の責任がある。地裁から最高裁まで死刑判決を重ね、最初の再審請求は43年前だったのに、第2次再審請求審で検察側の証拠開示が進展をみるまで、手続きは遅々として進まなかった。
袴田さんより前の4件の死刑事件の再審無罪は1980年代に集中していたが、この15年でも、足利、布川、東電社員事件など無期刑の再審無罪が続いた。冤罪(えんざい)被害は決して過去のことではない。
事件当時、袴田さんを犯人視する報道が広がった。報道機関として反省し、今後に生かさなければならない。
■手の届く再審制度へ
誤判をなくすことがまず求められるが、人間が担う裁判に完璧はない。再審はその非常救済手続きだ。
しかし、再審の可否を決める再審請求審の進行が見通せない上、再審開始決定が出ても検察官の上訴でさらに年月がたつうちに、関係者が高齢になって実質的な救済をなしていない。袴田さん以外の再審請求にも言えることだ。
最大の原因は、刑事訴訟法に再審手続きについての規定がほとんどなく、進行が担当裁判官しだいとなりがちな点だ。この機会を逃さず、再審法制の不備を改めるべきだ。
カギを握るのは証拠開示だ。再審で無罪につながった証拠は、第2次再審請求審で裁判所が勧告し、検察側がようやく出すまで、捜査側の手元にあったものだ。
証拠開示は通常審ではルール化されており、再審手続きでも捜査機関がもつ証拠の一覧を示し、再審を求める側がアクセスできるようにする必要がある。
再審が「開かずの扉」と呼ばれて久しい。再審請求審を受け持つ裁判体が一つでも「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」を認め、開始決定するのはよほどの状況だ。
検察官上訴を認め、再審を開くかどうかさらに争うより、ただちに再審を開き、そのなかで検察側、弁護側の双方が主張を尽くす形に改めることも検討に値する。
再審制度の見直しは、取り調べの録音録画などを導入した19年施行の改正刑訴法にかんする法務省の有識者会議が検討しているが、抜本改正を促す方向性にはなっていない。今回の事件を含む実例をもとに、必要な改正点を洗い出すことが急務だ。
再審請求審を経験した現役裁判官・元裁判官を対象とした本紙の調査では、回答した18人中15人が現行制度は「不十分」だとし、「手続きの不備が無辜(むこ)の救済を困難にしている」などと述べていた。
今春には、再審法制の改正に向けた超党派の議員連盟も発足した。率先して議論を進めるのが国会の責務である。
■取り返しのつかぬ刑
もし刑が執行されていたら、無罪判決を受け止める袴田さんの姿はなかった。
死刑制度には、国家が個人の生命を奪うことへの根源的な疑問をはじめとするさまざまな問題がある。誤った死刑判決があるという一点だけでも、立ち止まって廃止を考える時期にきている。
姉秀子さんや兄が拘置所を訪ねるたび、自らの潔白を懸命に訴えていた袴田さんの心に変調が見えたのは、最高裁での死刑確定後だった。いつとも知れぬ刑の執行におびえ、妄想の世界に入りこみ、何年間もだれとの面会も拒んでいたこともある。
秀子さんや弁護団が再審手続きを進めていたが、自分で冤罪をそそぐ力も意欲も失わせかねない点に、この刑の非人道性がある。
9月現在、死刑確定者は108人。中には袴田さんのように確定から数十年間、拘置所にいる人もいる。どんな刑を宣告された人であれ、その尊厳は守られねばならないが、具体的な処遇について法務省は明らかにしていない。
袴田さんに強いられた不条理を、刑事司法が抱えるさまざまな問題を解決する、きっかけとしなければならない。
有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。
【春トク】締め切り迫る!記事が読み放題!スタンダードコース2カ月間月額100円!詳しくはこちら