(社説)政治と女性 外相発言に見えるもの
政治と女性の関係を、あらためてこの社会に問いかける出来事だった。
上川陽子外相は先週末、地元・静岡の県知事選の自民推薦候補について、「この方を私たち女性がうまずして、何が女性でしょうか」と発言した。女性を中心とした支援者向けの演説会でのことだ。
「身内」に選挙での団結を呼びかける言葉だったが、女性ならばこうに決まっているとひとくくりにする荒っぽさに、胸がざわついた人たちも少なくなかっただろう。
日本の政治では、女性が少ない。衆院で約1割。昨年の統一地方選で改選された議会の約3割でゼロか1人。女性があまりに少ない環境では、あたかも「女性」という一つのかたまりがあるかのように見えてしまうことがある。
こうした表現がとられた背景に、女性が一握りの政治の世界で、女性の政治家自身もひとくくりにされ、特定の役回りを内面化しがちなことは、なかっただろうか。
発言は、女性のくくり方にも問題があった。当初、出産せねば女性でないと主張していると受け取れるような報道があったこともあり、上川氏は翌日、「女性パワーで未来を変えるという私の真意と違う形で受け止められる可能性がある」として、撤回した。
ただ、聞いた人が、女性を「産む性」とみなしていると受け止めたとしてもおかしくない表現で、子どもを持つことが決して当たり前でなくなった社会とのずれが、露呈したように見える。
女性はみな違うということを忘れたかのような発言で、昨秋批判されたのは、岸田首相だった。上川氏ら女性を大臣に登用した際、「女性ならではの感性、共感力を十分発揮して」と語った。上川氏も首相の発言を受けるように、「女性ならではの視点を生かしていきたい」と発言した。
女性が極めて少ない中で決まってきた枠組みや見落とされてきた問題が、女性の手で問い直されることには意味がある。上川氏が力を入れる、紛争解決や平和構築への女性の平等な参画などを目指す「女性・平和・安全保障」の取り組みもその一例だろう。
一方で、男性が多い現状を前提に、女性というだけでくくられ、「女性らしい」役割やふるまいを求められるのは、おかしなことだ。
女性の政治家が増えれば、彼女たちは「女性政治家」ではなく、それぞれ経験や能力を持つ一人一人の「政治家」として見られるようになるだろう。そして、見る側の政治家や有権者が色眼鏡を外すことは、今日からできる。
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- 【視点】
「産むこと」と「女性であること」 本来は一体ではない概念が、一体であるかのように語られ、当然とされ、期待される中で生きてきた上川さんから出る言葉は、きっと上川さん自身がずっと受け取ってきた言葉だったのだろうと想像する。別の自民党議員の応援演
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