(社説)ビキニ事件70年 非核の連帯を広げよう

社説

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 広島・長崎への原爆投下による被爆、さらに核実験に伴う被曝(ひばく)と、日本は「三たびの被ばく」を経験した。それから70年、核兵器はなおも戦争で脅しの道具に使われ、地球環境も脅かす。道のりは険しくとも、世界のヒバクシャらと連帯を強め、核なき世界へ歩みを進めねばならない。

 米ソ冷戦下の1954年3月1日、米国の水爆実験で太平洋マーシャル諸島・ビキニ環礁は壊滅的な被害を受けた。破壊力は広島原爆の1千倍。巨大なきのこ雲が広がり、白いサンゴが放射性降下物となって降り注いだ。

 その瞬間、この海域で操業していたのが、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」だ。船員23人は静岡県焼津市に帰港後、「死の灰」を浴びて被曝したことが確認された。半年後、無線長の久保山愛吉さんが40歳の若さで逝く。

 これを機に原水爆禁止を求める国民運動が起き、広島・長崎の被爆者にも光が当たった。その訴えは半世紀以上をへて国際社会へ広がり、核兵器禁止条約を生んだ。歴史を顧みれば、ビキニ事件は「反核・非核運動の起点」だったと言える。

 ちょうど70年を刻むきのう、思いを継ぐ遺族ら日本の市民が、現地の首都マジュロで追悼式典につどった。被曝した島民は健康被害に苦しみ、老いて多くが亡くなった。汚染された島々は、いまだ元に戻らない。若い世代同士が交流を深めながら、ともに苦難の記憶を風化させず、終わりなき核被害の実相を伝えてもらいたい。

 発信の舞台として期待されるのは、核禁条約の締約国会議だ。条約は核被害者への支援や環境回復に国際協力のもとで取り組むことも定め、マーシャル諸島など核実験被害国の多くが賛同して発効した。来年の会議の議長国は、旧ソ連時代の被害国カザフスタンだ。米ロなど核大国への異議申し立ての動きが本格化しようとしている。

 日本にも救済されないままの人たちがいる。ビキニ事件当時、海域では第五福竜丸のほかにも延べ1千隻近くの漁船が操業していた。だが政府は米側からの見舞金で政治決着を図り、被曝の影響を否定して健康調査もしなかった。高知県の元船員らが国に補償を求める裁判がいまも続く。

 すべての核被害者の先頭に立ち、核廃絶への道を切り開くのは被爆国・日本の使命である。戦後80年近く、非戦・非核を貫いてきたからこそ、その声は国際社会に響くはずだ。核禁条約と距離を置く姿勢をただちに改めるよう、政府に強く求める。

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