(フォーラム)「体育嫌い」を考える:2 先生たちは

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 体育は、何を学ぶ教科なのでしょうか。スポーツを体験したり、運動を続ける入り口になったりするだけでなく、一人ひとりの心と体の成長や数十年先の社会と暮らし方にまで広げられるかもしれません。「体育嫌い」の声に気づいた人たちは、試行錯誤を始めています。

 ■「見学」なし、みんなが学習に参加

 「私の体育の授業に『見学』はありません」。東京都世田谷区立桜丘中学校で保健体育を教える赤羽淳さん(35)は、生徒にこう伝えている。見学してはいけないという意味ではなく、「実技ができなくても学習には参加できるから、見学しますと言いに来なくていい」という趣旨だ。

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 <同じワークシート> 授業では、実技をする生徒にも、しない生徒にも、同じワークシートが配られる。実技に参加しなかった生徒は、他の生徒を観察したり、助言したりした経験から課題に応じてリポートを書けばいい。

 3年生の鉦本(かねもと)そよさん(14)は、もともと跳び箱が苦手。小学生のときは「体育の時間が終わるのを待てばいい」と思っていたが、「今は、できる人に聞いたり、自分の動きを友達に見てもらったりして、どうすればできるようになるか考えながら体育をするのが自然になりました」。跳び箱も跳べるようになった。

 赤羽さんも以前は、見学者が多いと自分の教え方がつまらないせいではないかと不安になっていた。実技をさせようと生徒を説得したが、それで実技に参加した生徒には自発的でない様子がありありと見えた。

 3年前、働きながら学ぶため、筑波大学の社会人大学院の修士課程に入学し、体育の見学を研究した。

 まず現状を知るために、知り合いの保健体育教師30人を対象に無記名、自由記述の予備調査を実施。見学者にどんな学習課題を与えているかを聞き、29人から回答を得た。「何も与えていない」という回答が複数あった。

 修士論文にまとめた本調査では、都内の体育教師591人にアンケートを配り、328人から回答があった。教師が見学者に与える学習課題は、教師の力量に影響される傾向があることがわかった。向上心があり、授業作りを子どもの立場で考えられる教師は、見学者に準備や計測、実技の補助、助言など、授業の中でスポーツとのいろいろな関わり方を体験させていた。

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 <実技にこだわらない> そこで改めて気づいたのは、自分の授業が実技をさせることに偏っていたこと。どうしていけるかと考えていくと、実技に参加出来る生徒と出来ない生徒を分ける必要がなくなり、自分も楽になったという。

 体育に劇的な変化を起こしたわけではない。ワークシートでの授業の振り返りは、よく知られた教え方だ。ただ一つ大きく違うのは、「実技をする」ではなく、「学習に参加する」を目指すこと。「そうしたら、生徒の方から授業に参加してくるようになりました」

 赤羽さんは今も、試行錯誤を続けている。

 ■なぜ嫌いかを聴く、仲間と研究会

 お茶の水女子大学付属小学校で体育を教える神谷潤さん(40)は、子どもの頃から、運動は好きだが、体育は嫌いだった。

 教員になって気になったのは、体育の授業で困っている子どもたち。「学校って、みんなが跳び箱を跳べるようにするといった成果を求めがちです。でも、いろんな困り方があって、どう対応していけばいいのかを考える場が欲しかった」。2年前、仲間と「体育嫌い研究会」を始めた。とにかく体育を嫌いだったという人に思いをじっくり聴く会だ。

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 <「ペア作って」つらい> 「体育嫌い」と言っても、その理由は多様だった。人間関係もそのひとつで、「ペアを作りましょう」と言うだけでも、自分が余ってしまって苦しかったという人がいた。

 声を聴いたことで、子どもへの接し方が変わった。例えば以前、何が何でも体育をやりたくないという子がいた時は、どうやったら楽しく参加できるかと、たびたび話しかけた。ただ、その子は実技に参加しなくても、体操着には着替え、授業を見ていた。「今になって振り返れば、その形での参加が精いっぱいだったのかも。何かを変えなきゃと思い込んでいたことに気づかされた」

 最近は、6年生で1人ずつやりたいことをやってもらっている。器械運動をする子もいれば、ダンスの練習をする子も。途中で飽きてしまう子ややりたいことがない子もいる。ただ、実技が苦手な子がいても、声をかけ合って取り組む姿が見える。

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 <「新たな体育」を模索> 研究仲間とは、スポーツを崩して楽しむ「ゆるスポーツ」や、デジタル空間などを使って楽しむ「超人スポーツ」、新しいスポーツをつくって楽しむ「未来の運動会」など、新たな体育のありかたも考えている。

 「実技が苦手な子のためというより、そこにいる一人ひとりのための体育・スポーツ・健康という視点が重要」と神谷さん。大事にしているのは「子どもの気持ちを理解すること」だが、「これが一番難しい。日々悩みながらやっています」。

 ■米国、相手に合わせ具体的に 筑波大・佐藤貴弘教授

 米国の大学で10年以上、保健体育科の教員養成に関わりました。体育に限らず、国が学習指導要領を作り、教材研究やマニュアルが充実している日本の教育は欧米から見ると珍しい。そういう背景もあって、指導法という点では日本の教師は高いレベルにあると思います。

 ただ、カリキュラムやマニュアルに頼る分、子ども一人ひとりに合わせた多彩な指導ができる教師は多くないと感じます。みんなを平等に学ばせていると思っていたら、一人ひとりのニーズにはまったく合っていなかった、ということが起きている。その現象が可視化されたのが、「体育嫌い」の声だと思います。

 米国では、何をどう教えるのかは現場の教師に任されています。多様な社会なので、ある子には当たり前のスポーツでも、別の子はやったことがないどころか見たこともないのが当たり前。教えるときには、日本よりもはるかに多くの段階に区切って動きを教え、使う言葉の意味も一つずつ定義していきます。外から見える体の動きだけではなく、意識の向け方や心の準備でも、米国では相手に合わせて具体的に教えます。この指導法は、スポーツで米国が好成績を挙げる理由の一つだと考えています。

 一方、米国では、保健体育を廃止したり、選択制にしたりする学校が増えています。原因の一つは、成果がわかりづらいところ。肥満などの健康問題は学校の保健体育だけでは解決できず、体力ならスポーツの部活動の方が向上します。保健体育は、部活動でスポーツをしない生徒のための選択科目として存続させるか、廃止する流れになっています。

 日本でも、体育を通じて何をどう学んだのか、学習の成果のアセスメントをもっとしっかりやる必要があります。音楽や美術も含めた表現学習に共通する課題です。教師が相手のニーズに合わせて教えるスキルを身につけることで、子どもの体育嫌いは緩和できるはずです。

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 さとう・たかひろ 米オハイオ州のケント州立大学体育科教育学科長などを経て、2019年7月から筑波大学教授。

 ■技能苦手な子、評価の仕組み 帝京大・高田彬成教授

 現在の体育の学習指導要領(小学校は2020年度、中学校は21年度から全面実施)は、実技が苦手な子も高評価にできる仕組みに変わっています。私は文部科学省の教科調査官としてその改訂に深く関わりました。

 改訂では、体育に限らず、育成を目指す資質・能力として「知識及び技能」「思考力、判断力、表現力等」「学びに向かう力、人間性等」が立てられました。体育で実技以外にも比重を置くために、後の二つが明示された意味は大きい。また、小学校体育の学習指導要領解説の各領域に、「運動が苦手な児童への配慮の例」などの項目を設けました。

 技能を全く評価しなければ、運動で輝いている子の個性を見落としてしまいます。歌が得意な子にとっての音楽と同じです。ただ、技能が苦手でも、マットや跳び箱の準備に一生懸命取り組んだり、目標を立てて工夫したり、協力し合ったりしていたら、技能での「できる」と同様に評価して欲しいのです。これからは「技能が苦手でも体育が得意」という子がどんどん増えていって欲しいと思います。

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 たかだ・あきしげ 小学校教諭、文部科学省の教科調査官などを経て、2019年から帝京大教授。

 ■指導細分化/40年前の悔しさ

 前回20日の記事には、教える側からも多くの反響が届きました。

 ●こまめな説明を 学生時代、体育は他教科に比べて、「とりあえずやってみる」だけで進むことが多いように感じた。いきなり試合をするのではなく、たとえばバレーボールではトスやレシーブなど、単元ごとに細分化してじっくり指導することで、生徒も興味が湧くのでは。(北海道、教員・女性、49歳)

 ●自分も腹を割って話す 勤めている通信制高校の課題で、体育やスポーツで嫌だと感じたことを聞くと、実技やチーム戦への苦手意識や劣等感を吐露してくれている生徒が複数いた。私も腹を割って、強豪校での勝利至上主義の部活指導の中で葛藤し、挫折した経験を話すようにしている。(滋賀県、体育教員・三苫保久さん、52歳)

 ●嫌な記憶よみがえる 小学校の体育でゲーム形式の競技をやった時に、体育の得意な子から「あんたのせいで負けた」と言われたことを、40年以上経っても覚えている。今は授業でも苦手な子への配慮が見られ、若い体育教員は高圧的な人がいなくなった一方、昔ながらの勝利至上主義をもつ教員もいて、生徒とトラブルになることがある。そのような教員と接すると、子ども時代に嫌な思いをした記憶がよみがえる。(高知県、高校教員・女性、53歳)

 ●レベル別の授業も 走ってはいつも最後、プールでは浮くことすらできず、「無能さ」をさらすようでつらかった。担当する英語の習熟度別授業は、生徒自身の目標が見えやすく、できた感覚を持ちやすいなどの特徴がある。体育でも、レベル別の授業を考えてもよいのではと思う。(高知県、英語教員・女性、50代)

 ◇小学校の時、放課後のドッジボールが大好きだった。中学で入ったテニス部でも、練習が楽しく、のめり込んだ。でも体育の時間となると、何の説明もなく持久走をさせられてタイムを測られたりと、けだるい場面しか思い出せない。

 20~30年前の当時と比べてカリキュラムも変わり、体育はアップデートされている。しかし、変わらない課題もある。体育が「嫌い」という一言に詰まった事情を聴くと、指導のありかたから、運動が得意かどうかによる「スクールカースト」まで幅広かった。困りごとが多様な分、簡単な解決策はない。

 一方、ヒントもあった。冒頭の桜丘中を取材した同僚から「見学のない体育」の話を聞いた時、自分の考えていた「体育」の範囲がいかに狭く実技中心だったかに気づかされた。実技が苦手でも、戦術を考えるのは好きだったり、アイデアが豊富だったりする子どもはいる。それぞれの子に合わせて体育の範囲を広げていくことにカギがあると思う。(田渕紫織)

 ■「体育嫌いを考える」 12月16日からオンライン配信

 オンライン記者サロン「体育嫌いを考える」を12月16日から配信します。こちらからお申し込みください。http://t.asahi.com/taiiku別ウインドウで開きます

 ◇忠鉢信一、田渕紫織、片田貴也が担当しました。

 ◇来週12月4日は「男性の生きにくさって?」を掲載します。

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