(社説)臨時国会 首相は「国葬」の説明を

社説

[PR]

 政府が閣議決定した安倍元首相の「国葬」について、世論の賛否は割れたままである。

 社説は、極めて異例の追悼の形式が、社会の溝を広げ、政治家の業績に対する自由な論評を妨げる恐れを指摘した。

 来週、召集される臨時国会では、国葬を決めた岸田首相自身が、数々の疑問や懸念に直接、答えねばならない。説明責任も果たさず、わずか3日の会期で閉じるなら、国葬に対する違和感を強めるだけだろう。

 参院選直後の臨時国会は、参院の新しい正副議長と常任委員長らを決めるために開かれる。会期は数日で、首相が答弁に立つ機会はないのが通例だ。

 与党は今回も同様の方針で、野党に提案した会期は3日間である。現職の国会議員が亡くなった際の習いで、衆院本会議で安倍氏に対する追悼演説は行われるが、国葬をめぐる質疑に応じる考えはない。

 戦前の国葬令は失効し、国葬を直接定めた法令はない。首相経験者の葬儀は、政府と自民党の合同葬が定着しており、国葬は半世紀以上前の吉田茂の1例のみだ。政策への評価が分かれ、森友・加計・桜を見る会をめぐる問題も未解明の安倍氏を特例扱いすることに、疑問を抱く国民がいるのは当然である。

 にもかかわらず、自民党の茂木敏充幹事長は「国民から『いかがなものか』という指摘があるとは認識していない」として、国葬に反対する野党の主張は「国民の声とかなりずれている」と述べた。これでは、政権が国葬を通じて安倍氏への政治的評価を定めようとしていると疑われても仕方あるまい。

 吉田の国葬では、黙祷(もくとう)を促すサイレンやアナウンスが全国各地で流れ、官公庁や学校の多くが午後は休みとなった。今回、政府は「国民に喪に服することを求めるものではない」(松野博一官房長官)としているが、忖度(そんたく)や同調圧力による事実上の強制とならないよう、首相の口から明確に語るべきだ。

 臨時国会で議論すべき喫緊の課題は他にもある。新型コロナの第7波への対応だ。

 新たな行動制限は「考えていない」とする政府方針は理解できる。ただ、それは一人一人が感染リスクを避ける行動を取ることが前提だというのに、現状は「これまでと同じでよい」というメッセージとして受け取られているとの指摘がある。

 夏休みやお盆で人の移動や接触が増え、さらに感染が拡大しかねない。国民に危機意識を共有してもらうためにも、国会質疑を通じた発信は重要である。

 岸田政権は野党各党が求める十分な会期を確保して、一連の課題に真摯(しんし)に向き合うべきだ。

有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

連載社説

この連載の一覧を見る