(社説)香港の選挙 誰のための投票なのか

社説

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 これが中国共産党政権が強調する「民主」の姿なのか。民意の審判とは到底言えない茶番というほかない。

 香港の立法会の選挙がおととい、投開票された。長らく高度な自治が機能していた香港において、本来は議会のありようを決める重要な選挙である。

 結果は、中国との良好な関係を志向する「親中派」が圧勝したという。だが、これをうのみにする香港人はいない。最初から選択肢はないに等しかったからだ。

 今回から制度が変えられ、定員のうち直接投票で決める枠は大幅に減った。さらに香港政府に忠誠を誓うことなどが立候補の条件とされた。白票や無投票の呼びかけは違法とされた。

 すべては、中国指導部がめざす「愛国者による香港統治」の方針にもとづくものだ。政府に非協力的な勢力を選挙から締め出したのである。

 体制への批判を許さぬ選挙制度を固めたあとに、中国政府関係者は「(親中派の)一色にはしない」とのメッセージを出し、急きょ中間派や自称民主派の出馬が促された。

 選挙の体裁を取り繕おうとしたのだろうが、北京の指導部が結果を操っていることを認めたようなものだ。

 党派を問わず、香港の有権者がしらけてしまったのも無理はない。香港当局は投票日の公共交通を無料にするなど異例の措置で投票を呼びかけたが、投票率は30%にとどまった。

 前回2016年の立法会選は58%で、19年に民主派が大勝した区議会選は71%だった。落差は明らかであり、中国共産党政権は、多くの市民が沈黙に込めた思いをくみ取るべきだ。

 今回のいびつな選挙は、中国が約束していた「一国二制度」の形骸化をより強く印象づけた。香港は着実に、中国本土と同化させられている。

 11月にあった北京市内の人民代表大会の選挙でも、人権活動をしてきた市民14人が立候補を試みたが、当局の妨害で断念させられていた。

 習近平(シーチンピン)国家主席は「民主は全人類共通の価値」とし、「ある国が民主的かどうかはその国の人民が判断すべきだ」と訴えている。

 ならば、まずは人々がそれぞれの「判断」を表明する機会を保障するべきだ。言論の自由を厳しく制限している現実のなかに、どんな「民主」があるというのか。

 選挙という制度は民意を正しくはかり、政治に反映させるための鏡でなければならない。これをないがしろにし、異論に向き合おうとしない政治の危うさを深く憂慮する。

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