(社説)コロナ下の首相 菅氏に任せて大丈夫か

社説

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 新型コロナ「第5波」の勢いが収まらず、首都圏を中心に医療体制が逼迫(ひっぱく)の度を増している。にもかかわらず、菅政権は酒類の提供対策に続き、入院方針の転換をめぐっても迷走を繰り返した。緊急事態宣言下での東京五輪の強行で、行動抑制の訴えも国民に届かない。

 このまま人々の命と暮らしを任せて大丈夫なのか。政治指導者としての菅首相の資質が厳しく問われる局面である。

 首相は昨年9月の就任当初から、コロナ対策を最優先課題に掲げ、最初の所信表明演説では「爆発的な感染は絶対に防ぐ」と誓った。だが、感染の波は断続的に訪れ、今年に入ってからは、宣言やまん延防止等重点措置がほぼずっと続いている。

 この間、政権の対応はしばしば、「後手後手」「場当たり」と批判された。「Go To トラベル」事業や東京五輪開催への首相の強いこだわりが、判断を曇らせたのではないか。

 未知のウイルスへの対応に、試行錯誤はやむをえないとしても、これだけの経験を重ねてなお、迷走が続く根っこには、首相の政治手法や政権の体質があるとみるべきだろう。

 まずは、首相の根拠なき楽観である。一昨日の記者会見でも、ワクチン普及の成果を強調するばかりで、それでも爆発的な感染拡大に至っている現状への危機感は伝わってこない。首相は感染者が一定数にとどまる楽観シナリオに重きを置いているとされるが、最悪を含め、さまざまな可能性を念頭に対策を準備するのが指導者の責務だ。

 こうした傾向に拍車をかけるのが、異論を受け付けない、首相の姿勢だ。複数の閣僚や周辺が五輪の中止を進言したが、聞く耳をもたなかったという。酒類対策や入院制限も、関係者の意見を十分くむことなく、拙速に打ち出した方針が現場に混乱を招いた。首相が「裸の王様」となって独善的に振る舞うなら、専門家を含む衆知を集めた対策など生まれようがない。

 首相が国民に響く言葉を持ち合わせておらず、また自ら進んで訴えようという姿勢がないことも深刻だ。強制力に頼らず、国民の自発的な協力に負う日本のコロナ対策では、政治指導者の発信は極めて重要な役割を持つ。五輪を開催しながら、国民に外出や外食を控えるよう求めることが、矛盾したメッセージになるという自覚もないまま、自らの施策の正当性ばかりをアピールされても、聴く者を得心させることはできまい。

 コロナ禍で「最大の危機」を乗り切り、国民の安全・安心を取り戻せるか。首相がこれまでの対応を根本的に改めなければ、信頼回復はおぼつかない。

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    千正康裕
    (株式会社千正組代表・元厚労省官僚)
    2021年8月11日10時14分 投稿
    【視点】

    記事の内容は、そのとおりだなあと感じるが、他に誰がいるのだろうかという気になる。「コロナに勝った証しとしてオリンピックを開催したい」「最後の緊急事態宣言に」という発言に代表されるように、根拠のある見通しではなく願望を一生懸命発信する点、国民

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