(声)平和のバトン 孫娘の成長待ち語った岡崎空襲

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 無職 藤井全子(愛知県 84)

 1945(昭和20)年夏、警戒警報、空襲警報が頻繁に出され、寝間着に着替えない夜もある緊張の毎日だった。はるか名古屋の空が空襲で赤く染まる様子も見ていた。

 7月20日未明、空襲警報が鳴り、ものすごい爆音。母の「ここにいては危ない。早く早く逃げなさい」との大声で家…

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