(記者が歩く 東日本大震災10年:1)遅れた避難、50人の死、救えなかったか

有料記事

[PR]

 静まりかえった雑木林の先にタイル張り6階建ての建物。聞こえるのは身に着けた防護服が擦れる音とマスク下の自分の息づかいだけだ。

 私(28)が近づいているのは福島県大熊町にある「双葉病院」。あの日、そばの系列の介護老人保健施設も含め、患者や入所者436人がいた。

 町内に立地する東京電力福島第一原発

この記事は有料記事です。残り1866文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら