(パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで)安保と軍備、政治に語らせよ 高村薫

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 安倍政権下で集団的自衛権の行使に道が開かれ、日米安保における従来の「矛と盾」の意味合いが大きく変わりました。さらに、アジア太平洋地域での軍事的覇権をむき出しにし始めた大国中国や、ミサイル能力を飛躍的に向上させている北朝鮮を眺めれば、この国の安全保障の〈いま〉に無関心でいられる国民は、少ないのではないでしょうか。

 年初から朝日新聞で連載された「日米安保の現在地」や、2015年から続く「変わる安全保障」のシリーズは、その意味で時宜を得たものであり、多くの読者が目を皿にして読んだのではないかと思います。

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 しかし実際のところ、私たちにはやはり簡単には理解できないテーマであり、寄せられる読者の声も限られています。たとえば陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備断念に至る経緯については、誰もが唖然(あぜん)とする杜撰(ずさん)さだったためか、「あっけにとられた。なぜそのような事態になったのか」(40代女性)、「よく分からなくて気になることばかりだ」(60代男性)といった声が中心でした。

 また、イージス・アショアの代替案として自民党内から唐突に出てきた「敵基地攻撃能力保有提言」については、多くの読者が「コロナ禍の混乱の中、どさくさに紛れる形で」(70代女性)という印象をもっており、当否については「政府筋以外の専門家の意見を載せてほしい」「客観的な第三者としての専門家の意見もあわせて読みたかった」など、憲法との整合性はさておき、軍事的にどのくらい有効な話なのか素人には判断のしようがないという戸惑いがのぞきます。

 全体として、現行憲法がうたう専守防衛からの逸脱を危惧する以前に、日本もいよいよ巡航ミサイルで武装しなければならないかもしれない時代になったことへの、大きな不安と困惑が印象的です。

 さて、日米安保の下、「憲法9条」や「専守防衛」を金科玉条にして思考停止していられた時代はとうの昔に終わっていますが、私たち日本人の多くはいまなお現実に向き合うすべをもっていません。日米安保の片務性や過大な基地負担、独立国とも思えない日米地位協定の存在、必ずしも必要ではない米国製防衛装備品の爆買いなど、折々に問題は報じられますが、私たちはそのつど対米従属の屈辱感を味わうだけで、その先へ思考を進めることができないのです。その先とはずばり、日米安保をどうするのかという問いです。

 実際、肝心の政府も、誰が首相になっても「日米同盟の一層の強化」を掲げるばかりで、主体的な安全保障論はほとんど聞かれません。珍しく聞こえてきたと思ったら、戦略的にも自衛隊の能力的にも現実味に乏しい「敵基地攻撃能力保有」云々(うんぬん)なのですから、話になりません。

 この現状を的確に捉えたのは8月31日付朝刊の記者解説「敵基地攻撃 欠く議論」でした。記事では、戦後私たちの思考を停止させてきた「軍事問題のタブー視」が指摘されています。思考停止は国会議員も同様で、国の防衛計画についてまともに軍事討論を行える政治家は、多くはありません。民間の安全保障の専門家も育っていません。この記事で目を引いたのは「軍事討論」という文言でしたが、これは個々の戦略の当否だけでなく、外交を含めた国の防衛計画全体の検討を指します。実際、安全保障は外交とセットで考えるべきものであり、先般、敵基地攻撃能力保有論がいきなり持ち出されたのは、日本に本来の外交が存在していないことの証しでしょう。

 狭い国土に人口が密集している日本は、数十万数百万の国民が速やかに避難できるような土地もなく、開戦と同時に潜水艦発射弾道ミサイルが撃ち込まれる現代の戦争を戦うのは、現実問題として無理だと言われています。もちろん中国と伍(ご)するだけの軍事力を持つのも非現実的です。従って、私たちは日本に出来ることと出来ないことを正確に仕分けし、実戦的な軍備を着実に整備してゆく以外にありませんが、同時に、いまの日本は現実に「戦争はできない」のであり、そこに腰の据わった外交が求められる理由もあります。

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 このように平和外交や軍縮と、国防のための軍備の、相反する二つの舞台を同時に展開してゆくのが安全保障の実際だとすれば、新聞はこの微妙で複雑な二つの舞台をつねに並行して伝え続けることが求められます。一朝一夕に整理できない複雑さこそ安全保障の現実なのです。

 今後、アメリカが内向きになってゆく一方で、中国による台湾有事が絵空事ではなくなっているいま、軍事的にも外交的にも日本に求められる役割が増してゆくのは必至です。日本はいまこそ日米安保の下での安全保障論を主体的に構築する必要がありますが、それを担うのは政治です。そして新聞は、政治にもっともっと言葉を要求し、国のかたちを政治に語らせてほしいと思います。

 ◆たかむら・かおる 作家。「マークスの山」で直木賞受賞。著書に「太陽を曳く馬」「土の記」など。1953年生まれ。

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