(フロントランナー)文化人類学者・立命館大教授、小川さやかさん 人間社会の混沌、密着する新世代
人なつこさと度胸を武器に、異境へ向かう。各地でたれこめる分断の暗雲にも臆さず、軽々と壁を乗り越えてゆく新世代の学究である。
今年の河合隼雄学芸賞と大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞した『チョンキンマンションのボスは知っている』は、香港が舞台。はるかアフリカから一獲千金を夢見てやって来たタンザニア人たちに2016年秋から半年以上密着し、「魔窟」と呼ばれる雑居ビルを拠点にうごめく中古品輸出ビジネスを内側から活写した。
約束はいつも大幅遅刻、下ネタ連発、借金の依頼など、ダメ人間ぶりが憎めない「ボス」や同胞たちの関係は独特だ。互いを信用せず踏み込まない個人主義の一方、できる範囲で助け合うシェアのしくみがある。
「グローバル化の競争の末端で折り合いをつけながら、贈与や分配の世界観も息づく。矛盾し、せめぎあうもの同士の共存が面白いんです」
専門は経済人類学・アフリカ研究。01年、京都大大学院から単身、タンザニアへフィールドワーク(現地調査)に出かけ、都市の路上商人に声をかけられたのがすべての始まりだ。
何の後ろ盾もない貧しい若者たちが、行き交う人々を実によく観察していることに感心した。だましだまされの「ウジャンジャ」(スワヒリ語で、ずる賢い知恵の意)とは何ものか。それが知りたくて商売の列に加わり、炎天下、古着を売った。商才を発揮し、やがて大勢の小売商と取引する立場に。一躍、街の有名人となった。
信頼していた仲間に次々逃げられたこともある。仕方なく紹介してもらった若者はウソつきのお調子者。こちらの脇が甘いと金品をかすめ取り、でも落ち込んでいるとおとなしい。
「駆け引きなんですね。だんだん気持ち良くなってきて、あ、ずる賢いやつ、楽だなと」
彼はある日、「お前はもう大丈夫」と言い残し、去って行った。約3年半にわたった調査での苦さも喜びもふまえ、痛感する。世界は広い。信頼や倫理の基準も、様々なのだ――。
以来、一貫して、公の統計には載らない経済の研究を続ける。先の見えないその日暮らしでも、いや、その日暮らしだからこそ、人間は強い。混沌(こんとん)の中でも自ら秩序を生み出す。そんな社会の可能性をみつめている。
幼い頃は、道徳の授業が嫌いで集団行動が苦手な「ひねくれた変わった子」だったという。ぐっと丸くなった今も、心根は変わらない。
「世界はできるだけ多様で自由で、スキマがあった方が豊かだと思います」
(文・藤生京子 写真・長島一浩)
*
おがわさやか(42歳)
(3面に続く)