(社説)被爆建物 「物言わぬ証人」の重み

社説

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 75年前、原子雲の下で起きた惨禍をどう伝えていくか。

 被爆者が年々減っていくなか、建物や遺構は人々の生きた証しと歴史をつなぐ貴重な存在だ。保存し、生かすことは唯一の戦争被爆国の務めである。

 広島では、市内最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」の解体が議論になっている。

 現存する4棟は1913年築、鉄筋コンクリート造りで外壁はれんが積み。軍服や軍靴の生産拠点だった。「軍都・広島」の象徴として海外に兵を進めた日本の姿を示す一方、原爆が投下された直後は臨時の救護所として使われ、多くの人が命を落とした場所でもある。

 3棟を所有する広島県は昨年末、1棟を補修し2棟は解体する案を打ち出した。住宅地が近い支廠は耐震性に不安があり、3棟すべてを改修するには80億円余りが必要と試算されたためだ。被爆者や市民団体からは全棟保存を求める声が次々と上がり、県は判断を先送りしたものの、結論は出ていない。

 被爆者の切明千枝子(きりあけちえこ)さん(90)は女学生のころ、被服支廠に動員された。戦争末期には、銃弾の跡なのか、穴があいて血がついた古着の軍服を洗った。「当時を知るもんがいなくなっても、『戦争はいけん』と訴える『物言わぬ証人』として生き続けます」。被爆建物に思いを託す言葉は重い。

 広島の被服支廠だけではない。長崎では被爆当時は警察署だった「旧県庁第3別館」の保存が課題だ。老朽化や市街地開発などに伴って既に取り壊された建物も少なくない。

 昨年、長崎と広島を訪れたローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、被爆地を「人間が過ちを犯しうる存在だと意識させてくれる」などと表現し、被爆の記憶を継承することの大切さを訴えた。政府は広島の原爆ドームや長崎の原爆遺跡を国の史跡に指定してきたが、被爆建物や遺構の保存・活用に積極的に取り組まねばならない。

 試金石となるのは、4棟のうち1棟を国が所有する広島の被服支廠への対応だ。支廠では市民団体が見学会や原爆・反戦詩の朗読会を催すなど、活用への模索が続く。そうした動きを自治体とともに後押ししつつ、財政面の支援を検討するべきだ。

 長崎の爆心地公園には、被爆前の周辺の街並みを復元した地図がある。「長崎の証言の会」で代表委員を務め、4月に90歳で亡くなった内田伯(つかさ)さんが長年取り組んできた。一軒一軒に当時の住民の名が記されている。

 建物やその跡地は、そこに生きた一人ひとりの命と、それが奪われた理不尽さを語りかける。声なき声に耳を傾けたい。

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