(声)語りつぐ戦争 米兵からたばこ、敗戦を実感

有料記事

[PR]

 無職 赤見和巳(埼玉県 91)

 75年前、私は学徒動員され、陸軍造兵廠(しょう)大宮製造所(現・さいたま市)で風船爆弾の製図・設計に関わっていた。日本の敗戦色が濃くなり、米空母からの戦闘機が造兵廠を襲うようになった。

 7月のある日、空襲警報のサイレンを合図に全員防空壕(ごう)に避難した。壕内で…

この記事は有料記事です。残り298文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

連載

この連載の一覧を見る