(パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで)報道倫理、時代に追いついて 山本龍彦

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 4月にパブリックエディター(PE)に就任して最初のコラムは、検察庁法改正見送りの大きな原動力となった「ツイッターデモ」を取り上げようと考えていた。しかし、ある一報で、その計画はもろくも崩れ去る。黒川弘務・前東京高検検事長が参加した賭けマージャンに、朝日新聞社員も同席していたとの報だ。これには、当然ながら読者からの激しい批判が相次いだ。「権力とベッタリの状態でまともな記事が書けるのか」「政治を監視すべきメディアの人間が、政権に近いと批判されている人物と、個人的に会っていること自体が問題だ」などなど。PEは、読者を含む社会の声に耳を傾け、本紙の報道のあり方を点検・評価することを職責とする。だとすれば、この時期にコラムを託されたPEとして、「デモ」の関連資料をそっと書棚に戻し、賭けマージャン問題と正面から向き合うほかはない。

 ポイントは、メディアと権力との「距離」である。朝日新聞社は5月22日付の紙面で、黒川氏とのマージャンは「元記者」の「個人的な行動」であると説明したが、読者からすればそれは言い訳にしか見えないだろう。昨年も、記者と首相との会食が問題とされたように、読者が疑問視しているのは、権力とメディアとの異様な距離の近さであり、特ダネのために両者の「密」が貴ばれてきた報道文化そのものだからだ。

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 そもそも、報道機関には、実際に公平であること(実質的公平性)と、国民から公平らしく「見えること」(外見的公平性)の両方が求められる。報道機関の公平性が疑われれば、その報道にも疑いの目が向けられ、私たちは権力を適切に批判・評価する尺度を失う。民主主義の維持には、報道機関への国民の信頼確保が不可欠で、それには外見的公平性も重要だ。だとすると、黒川氏と賭けマージャンをした社員が、現役の記者か元記者かは本質的な問題ではない。重要なのは、両者の「密」な付き合いが、報道機関の外見的公平性を危険にさらしたことだ。

 もちろん、隠された事実を聞き出すため、記者が取材先に積極的に近づき、一定の関係性を結ぶことは認められなければならない。最高裁判所も、「取材の自由」は、憲法21条(表現の自由)の精神に照らし「十分尊重に値する」とし、「公務員に対し根気強く執拗(しつよう)に説得ないし要請を続ける」取材活動は、法的に手厚く保護されるべしと述べている。従前は、取材先とのマージャンやゴルフも、こうした取材活動の一環として自明視され、時に推奨すらされてきたのではないだろうか。

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 しかし、近年、一般企業にも高い倫理意識が求められるようになり、社会の至る所で「これまでの常識」が通用しなくなってきている。社会が大きく変化するなかで、報道倫理だけが聖域化してよいとする理由はない。もともと、記者が内部で共有してきた倫理と、読者が素朴に信じてきたあるべき倫理との間には深い溝があり、両者が没交渉のまま平行線をたどってきたように思われる。今回の一件を契機に、この不幸な二重性を解消すべく、内輪で当然に許されてきた取材先との「距離」にも懐疑的な視線を向けてみる必要があるだろう。

 ニューヨーク・タイムズは、読者などから信頼されるメディアを目指すべく、2003年に「Ethical Journalism(倫理的ジャーナリズム)」(https://www.nytimes.com/editorial-standards/ethical-journalism.html別ウインドウで開きます)と題したハンドブックをまとめた。この中の「情報源との個人的関係」という項目には、「実際に偏向が生じること、または偏向していると見られることを避けるために、取材源との関係には健全な判断と自制が最大限求められる」とあり、癒着の印象を与えうるリスク行為として、「市当局担当の記者が、市議会議員と一緒に毎週ゴルフを楽しむこと」「定期的にカードゲームを行うこと」などが挙げられている。

 ここでは、外見的な公平性が強く意識され、取材先との「距離」について具体的な注意喚起がなされているのだ。朝日新聞の「記者行動基準」も、取材先との付き合いについて一定の原則を示しているが、「取材先からは、現金や金券等を受け取らない」など、権力に「実際」にのみ込まれないための心得が最低限書かれているだけで、外見的公平性まで意識した、踏み込んだ記述はない。

 「取材の自由」は大切で、記者一人ひとりの創意工夫や裁量を奪うような具体的ルールを押し付けることは厳に避けなければならない。しかし、本紙が読者からの信頼を取り戻すには、批判を真摯(しんし)に受け止め、第三者を入れた会議体を立ち上げて問題の検証に当たるのはもちろん、各国報道機関の取り組みなどを参照して、取材先との関係を含む報道倫理を根本から問い直す必要がある。いま朝日新聞に求められるのは、かたちだけのおわびではなく、これからの時代にふさわしい新たな報道倫理の構築を、責任感をもって力強くリードしていくことだろう。

 ◆やまもと・たつひこ 慶応大教授。専門は憲法学、情報法学。現代のプライバシー権をめぐる問題に詳しい。1976年生まれ。

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