今でこそパロディーを知らぬ人はいないだろう。しかし、月刊誌「話の特集」を創刊した1965年ごろ、和田誠が毎月8ページ、パロディーを担当したいと言い出した時は、何のことやらさっぱりわからなかった。
「とにかく、これ見てくれないか」と渡されたのは「殺しの手帖(てちょう)」という、花森安治さんが戦後間…
今でこそパロディーを知らぬ人はいないだろう。しかし、月刊誌「話の特集」を創刊した1965年ごろ、和田誠が毎月8ページ、パロディーを担当したいと言い出した時は、何のことやらさっぱりわからなかった。
「とにかく、これ見てくれないか」と渡されたのは「殺しの手帖(てちょう)」という、花森安治さんが戦後間…