【詳報】花一輪を手に「おれは生き抜くよ」 東日本大震災14年
未曽有の被害をもたらした東日本大震災から11日で14年がたちました。各地の追悼や被災者の声をタイムライン形式でお伝えします。
18:00
政府の地震調査委「地震による自然現象が続いている」
政府の地震調査委員会の定例会があり、東日本大震災からの14年の地震活動などについて「大局的に緩やかに減少してきているが、依然として東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の前よりも多い状態が続いている」と評価した。
終了後に会見した平田直委員長=東京大名誉教授=は「当時のことを思い出したくない人もいるかもしれないが、依然として地震による自然現象が続いていることは認識してほしい」と話した。
17:00
「希望」「歩み」「未来」…灯籠1万1千個にメッセージ
盛岡市の盛岡城跡(じょうし)公園や中津川河川敷など4カ所で、追悼の催し「祈りの灯火(ともしび)2025」があった。牛乳パックでつくられた約1万1千個の灯籠(とうろう)にあかりがともった。
ボランティアを募り、小中高校生を含む約600人が催しを支えた。県立盛岡二高や市立下橋中の生徒も会場設営に走り回った。1月から市内各所で灯籠の製作会を開き、子どもから高齢者まで大勢の市民が灯籠に思いを託した。
灯籠には「希望」「歩み」「未来」などメッセージが記された。ボランティアの渋谷明子(めいこ)さん(65)は「灯籠をつくる時間が大切。忘れていた人も震災に思いを寄せる。震災を知らない子どもには伝えられる。ずっと続いてほしい」と話した。
16:00
石破首相、復興事業の基本方針を見直す考え 記者団に示す
石破茂首相は2025年度が最終年度となる第2期復興・創生期間(5年間)の後の復興事業について、「十分に財源を確保し、今の5年間の事業規模を超えるものとしたい」と語った。次の5年間に向けて、今年夏までに取り組みの基本方針を見直す考えを改めて示した。福島市で記者団の取材に答えた。
首相はまた、福島の復興と地方創生を掛け合わせ、被災地で新たな産業を創出する「福島イノベーションコースト構想」を進める意欲を強調。この日、福島市内のロボット開発企業の経営者らと意見交換したことに触れ「福島で得られた好事例を全国で普遍化する」と述べた。
16:00
立憲・野田代表「経験が十分に生かしきれていない」 訪問先の仙台で
立憲民主党の野田佳彦代表は、仙台市沿岸部の荒浜地区を訪問。慰霊碑に献花、黙禱(もくとう)したのち、震災遺構の「荒浜小学校」で、校舎に残る津波の痕跡や、当時の避難所運営に関する展示を見学した。
記者団の取材には「これからも南海トラフ地震などの可能性がある。過去の経験を防災・減災、地域社会作りに生かすためにも、被災地を見ることは非常に参考になる」と述べた。
さらに昨年の能登半島地震での政府対応を触れ、「きちんと早く補正予算を組んでいれば、もっと早急に復興に近づくことができたかもしれない。東日本大震災などの経験が十分に生かしきれていない」とも苦言を呈した。
15:45
岩手・陸前高田で被災「一日一日笑顔で暮らしたい」 名古屋でも追悼式
名古屋市昭和区の鶴舞公園では、震災犠牲者の追悼式典が開かれた。発生時刻の午後2時46分にあわせ、被災地の方角へと黙禱(もくとう)を捧げた参列者たち。岩手県陸前高田市で14年前に被災し、津波で夫や親戚を亡くした愛知県知多市の鶴島道子さん(70)は式典後、「地震が起きた時間はまだ生きてたんだよなあと毎年思う」と語った。「亡くなった方に申し訳ないから、一日一日を笑顔で暮らしたい」
15:00
石破首相「心からお見舞い申し上げる」 追悼復興祈念式
石破茂首相は、福島市で開かれた県主催の東日本大震災追悼復興祈念式に出席し、震災発生時刻に黙禱(もくとう)した。その後のあいさつで「原発事故の影響により、いまだ多くの方々が避難生活を余儀なくされている。ふるさとに帰還することのできない方々をはじめ、被災されたすべての皆様に、心からお見舞いを申し上げる」と述べた。
首相は7日に政府が飯舘村と葛尾村の帰還困難区域の一部で避難指示の解除を決定したことに触れ、「復興は着実に進展している」と強調。さらに中長期的な対応が必要だとして、「福島第一原発の安全かつ着実な廃炉や帰還に向けた生活環境整備に取り組む」と語った。
自身が掲げる防災庁設置にも言及。「東日本大震災の経験を自然災害への対応や避難所の生活環境改善の取り組みにいかし、防災庁を新たに設置し、世界一の防災大国にすべく力を尽くす」などと述べた。
14:55
風船を飛ばして追悼
14:48
熊本地震で被災したクラリネット奏者が追悼演奏
宮城県気仙沼市で、クラリネット奏者の前野美千代さん(55)=福岡市博多区=らによる追悼演奏が始まった。前野さんは発災直後から、音楽で被災者を元気づけようと被災地での演奏活動を続けてきた。前野さん自身も、2016年の熊本地震で音楽教室を開いていた建物が全壊する経験をした。
この日は知人の紹介で、気仙沼市内の「すがとよ酒店」で演奏した。店長の菅原英樹さん(49)は、父と祖父母を津波で亡くした。菅原さんは「色んな人の助けがあって今ここにいる。演奏があると、より深く思いをはせることができる」。
14:46
東電社長「廃炉は私たちが果たすべき責任」 社員を前に訓示
東京電力の小早川智明社長は、震災が起きた午後2時46分に合わせ、福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)で黙禱(もくとう)を捧げた。廃炉作業を担う社員約220人を前に「廃炉は私たちが果たすべき責任で、地域のみなさんの安心を作ること。住民の方の思いを心の真ん中に置いた廃炉を実現していきましょう」と述べた。
福島第一原発では昨年11月、2号機から溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の試験的取り出しに成功した一方、その取り出し過程で2度にわたり中断した。小早川社長は訓示で、「廃炉作業のミスやトラブルは現場レベルでの信頼関係の不足が起因していたと考えている」とした。その上で、「廃炉作業を安全かつ確実に進めていくには、地元企業と信頼関係を発展させていくことが長期にわたる廃炉と復興の原動力になる」と話した。
14:46
山林火災で自宅全焼の高校生も黙禱 家族で家の再建誓い合う
大規模な山林火災が発生した岩手県大船渡市三陸町綾里の高校1年生、東川樺恩(かのん)さん(16)は午後2時46分、全焼した自宅の前で高校の友人と共に黙禱(もくとう)した。「思い出がたくさん詰まった家が燃えてしまって、本当に残念」と話しながらも、「悲しんでいても仕方がない。家族とは『もう一度、ここに家を建てて暮らそう』と話しています」と前を向いた。
火災が起きた2月26日は県立高田高校にいた。教師に呼び出され、母に電話をかけると、「火が自宅のすぐ近くまで迫っている。覚悟をしておいて」と告げられ、避難した。当日夜は「家が残ってほしい」と願っていたが、翌朝には報道で家が焼失したことを知り、家族で家の再建を誓い合った。いまは親類宅に身を寄せながら高校に通っている。
約40年前に建てた家で、両親と祖母、親戚の5人暮らし。母が自宅から持ち出せたのは、高校のジャージーぐらい。「できれば、小学校と中学校のアルバムと、アルバイトで買ったヘアアイロンを持ち出したかったです」
14年前の震災については「まだ2歳で記憶はないけれど、両親からは『ものすごく大変だった』と聞いている。だから今回も乗り越えられると思う」。新しく建てる予定の家については「できれば、私の部屋があるとうれしい」と話した。
14:46
山林火災の鎮圧で「少し安心して献花ができた」 岩手・大船渡
大規模な山林火災が起きた岩手県大船渡市では、追悼献花が行われた。献花台は、追悼施設「祈りのモニュメント」の前に設置され、対岸には火災で白煙が上がっていた赤崎町の山が見える。
震災発生時刻には市民らが海に向かって黙禱(もくとう)した。渕上清市長は「東日本大震災の教訓を胸に市民一丸となって、大火災からの復旧復興にあたることを、市民とともに誓う」と述べ、震災と山林火災での犠牲者を悼んだ。
市内に住む事務員の女性(62)は、友人や知人を悼むため花を手向けた。連日、自宅から火災の煙が見えていたという。「震災の時のもやもやした不安な気持ちを思い出した。鎮圧されたから、今日は少し安心して献花できた。でも早く鎮火してほしい」と話した。
14:46
「起きたことを知らせることは、備えることになる」
宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園に設置される「がんばろう!石巻看板」の前で、追悼式があった。
斎藤正美市長は、「心の復興、コミュニティーの再構築、地域の活性化、経済の立て直し、これをしっかりと進めていく」と話した。
現在は震災遺構となっている門脇小学校の元校長・鈴木洋子さんは当時の経験を振り返り、「ここで起きたことを知らせることは、備えることになる。伝えていこうではありませんか。それが残った者のやらなきゃいけないことだと思います。語り継いでいきましょう」と呼びかけた。
震災発生時刻の午後2時46分にサイレンが鳴り、人々が黙禱(もくとう)を捧げた。
14:46
石川県庁でも職員ら黙禱 能登半島地震で対応
東日本大震災の発生時刻に合わせ、昨年元日の能登半島地震で対応にあたった石川県庁でも、犠牲者に黙禱(もくとう)を捧げるアナウンスが流れた。県庁6階の税務課では、職員約20人が1分間黙禱した。
地震で被災した同県能登町で家屋被害の調査にあたった高山翔・主任主事(31)は2011年当時、高校生。「大きな津波や揺れによる被害が強く(印象に)残っている。能登の復興も何年かかるか分からないが、県として、みなさんが日常を取り戻せるためにできることをしたい」と語った。
14:46
地震発生時刻に各地で黙禱
13:53
海岸で捜索活動
11:15
山中・原子力規制委員長「福島の痛みは、わが身の痛み」
原子力規制委員会の山中伸介委員長は、原子力規制庁の職員約150人を前に訓示した。東京電力福島第一原発の廃炉作業について「まだまだ道半ば」とし、「福島の痛みは、わが身の痛み。廃炉が成し遂げられなければ、私の痛みは続く」と述べた。規制委が続けている福島第一原発の事故調査についても「福島が私の現場というつもりで、原子炉内に入り、調査をしている」と語った。
規制庁は各職員にカードを配り、それぞれの仕事に対する考え方を記入させている。山中氏はカードに「原子力に100%の安全はない、福島は私の大切な現場」と書いているといい、「福島の復興、福島の未来の役に立てるよう、職員の皆さんと一緒に頑張っていきたい」と呼びかけた。
11:11
追悼の黄色いハンカチ
10:47
「あの日で時間が止まっている」 自宅の彫刻作品は流された
10:45
宮城学院女子大で講演会「地域支援の継続が、地元の大学の役割」
仙台市青葉区の宮城学院女子大学で11日午前、震災前から勤務している教授2人が登壇し、「宮城学院で経験した3.11」というテーマで講演会を開いた。
同大学では、沿岸部にいた4年生と2年生の学生2人が亡くなり、学内の施設も大きな被害を受けた。教職員らが学生を保護し、情報収集や帰宅困難者らへの対応にあたった当時の記憶や、学生たちの専門を生かした復興への取り組みについて話した。
戸野塚厚子教授(教育学)は「被災者と非被災者の二項対立で考えると見えないものがある。一見分かりにくい被災にも目を向け、丁寧に学生や地域に寄り添いたい」と話した。市野沢潤平教授(文化人類学)は「単発的ではなく、地域の支援を継続していくことが、地元の大学の役割」といい、「大学の教員も当時とは大きく変わっているので、講演を通して今後に生かしてもらえれば」と話した。
10:14
山林火災の後始末続く 被災地の岩手・大船渡
震災で400人を超す犠牲者が出た岩手県大船渡市では11日、前日に山林火災の鎮圧が宣言され、全ての避難指示が解除されたものの、後始末が続いていた。民家が焼けた同市赤崎町の現場では、火種が残っていないかどうか、消防隊員らが焼け跡を一軒一軒回っていた。火種が残っている場合は1カ所ずつ消してゆくという。
10:05
「おれは生き抜くよ」 妻が好きだったトルコキキョウ一輪を海へ
宮城県気仙沼市の小泉海岸で、佐藤誠悦さん(72)が妻厚子さん(当時58)の遺影を波うちぎわに置いた。手を合わせた後、厚子さんが好きだったトルコキキョウを一輪、海に投げた。
海岸のすぐ近くで、厚子さんは遺体で見つかった。佐藤さんは当時、気仙沼消防署の指揮隊長として、市民の救助に奔走した。「あなたを助けられなくて申し訳ない。あなたを忘れず、おれは生き抜くよ」。あの日とはうってかわって穏やかな海に向かい、そう念じた。
9:50
林官房長官「政府一丸となり、復興に取り組む」
東日本大震災の発生から14年を迎えたことを受け、林芳正官房長官は11日午前の記者会見で、「福島の復興なくして東北の復興なし、東北の復興なくして日本の再生なし、との強い決意のもと、被災地の方々に寄り添いながら政府一丸となり、被災地の復興に取り組む」と述べた。
林氏は震災からの復興状況について、「ハード整備や住まいの再建など、復興は着実に推進している」と語った。東京電力福島第一原発事故をめぐっては「廃炉や除去土壌の処分、帰還移住の促進、産業、なりわいの再生など様々な課題に国が前面に立って対応する」とした。
9:44
宮城・気仙沼の砂浜に「3.11」
9:00
津波で妻子なくした元小学校長「また来たよ。あっという間だね」
午前9時、岩手県陸前高田市米崎町の浜辺で、元小学校長の佐々木善仁さん(74)が花を手向けた。14年前、妻・みき子さん(当時57)とひきこもりだった次男・仁也さん(当時28)を津波で亡くした。「また来たよ。14年経ったけどあっという間だね」。みき子さんの遺体が発見されたとされる海に向かって手をあわせ、心の中で語りかけた。
みき子さんは生前、ひきこもり当事者の父母会を主宰していた。佐々木さんは、そんなみき子さんの遺志を継いで昨年7月、仁也さんのようなひきこもり状態の人や不登校の子どもが誰でも利用できる施設「虹っ子の家」を市内に開設した。
開設から初めて迎える3月11日。「二人に後押しされて開設できた。妻は『やったね』と言ってくれるでしょう」。施設には市内外の人々が相談に訪れ、亡き息子にも思いをはせる。「まだまだ孤立して、相談できない当事者はたくさんいる。少しでも支援できればと思う」
9:00
「せめて名前だけでも」 自ら建てた石碑の前で手を合わせる
東京電力福島第一原発からほど近い、福島県大熊町の長者原地区では午前9時ごろ、この地区の区長山口三四(みつよし)さん(80)が自ら建てた石碑の前で手を合わせた。
石碑は今年2月、山口さんが中心となって建てた。震災後に亡くなり、遺族の許可を得た地区の44人の名を刻んだ。
原発事故で、地区の全員が避難を余儀なくされた。その後、故郷に戻ることができず、避難先で亡くなる人が相次いだ。「ここの地で最期を迎えたかった人はたくさんいた。せめて名前だけでもここに戻しました」と語った。
自宅に帰ることを望んでいた山口さんの兄和夫さんも、2017年2月に81歳で亡くなった。「兄貴はここで生まれ育ち、ずっとここで生活していた。最期もここで迎えさせたかった。原発事故さえなければ……」と目に涙を浮かべた。
震災前、長者原地区には約70世帯、200人ほどが生活していた。地区は帰還困難区域に指定され、大半は県内の除染で出た土を保管する「中間貯蔵施設」となった。
8:50
災害ボランティア経験者、宮城・大川小に足を運ぶ
84人が犠牲になった宮城県石巻市の震災遺構大川小学校で、新潟市の神田康伸さんが11日朝、写真を撮っていた。発災当時は災害ボランティアとして東北に来た。地元の人は、震災のことが忘れられているという不安があるのではないかと感じている。「風化させず、伝えていくのが自分の責任だと思っている」
6:31
海岸で祈る人たち
福島県浪江町の請戸海岸で11日、海に向かって手を合わせる稲川孝子さん(80)ら。稲川さんは10歳で引っ越すまでこの地区で生まれ育ち、東日本大震災で親戚や友人を亡くした。現在は東京都内に住みながら浪江町内にも拠点を構え、子どもたちの教育や帰還住民の心のケアなどに取り組んでいる。
稲川さんは対岸に見える東京電力福島第一原発を見ながら、「地震や津波の自然災害だけでなく、原発事故もあったことで、町の人たちはより深く傷ついた。人間がつくったものには限界があるということ。それでも、起きてしまったことにけじめをつけて前進しないと、本当の復興はできない」と話した。
6:11
日の出に合わせて踊る舞踏家
福島県いわき市の薄磯海水浴場で11日、札幌市の舞踏家、小田原真理子さん(55)が、日の出の時間に合わせて花を手向け、祈るように踊っていた。被災者に物資を送ったことが縁で、毎年通うようになったという。
「私を受け入れ、どんなことがあってもどうやって生きていかなきゃいけないかを、たくさん教えてもらった。感謝の気持ちを伝えたい」
■■■3月10日の動き■■■
18:00
駅前に1千本のキャンドルライト 福島・双葉町
2022年夏に一部地域で避難指示が解除され、原発事故の被災12市町村で最も遅く住民が戻った福島県双葉町では、JR双葉駅前に約1千本のキャンドルが灯(とも)された。
双葉町に2年前に家族と引っ越してきた小学4年生の高久田寧々さん(10)は「みんな楽しく双葉町」と願いを込めた。昨年元日に地震があった能登半島や、都内などからも「能登も福島もみんなで復興」といったメッセージが寄せられた。
17:35
宮城・南三陸町の旧防災対策庁舎に照明点灯
屋上の高さを超える津波にのみこまれ、町職員ら43人が犠牲になった宮城県南三陸町の旧防災対策庁舎に、日没と同時に明かりがともされた。保存か解体かを巡り町民の意見が割れていたが、昨年、佐藤仁町長が、震災遺構として恒久保存することを決断。それを機に今月から月に二晩、照明で照らすことになった。
日がすっかり暮れると、赤い鉄骨だけになった庁舎が暗闇に浮かびあがった。佐藤町長は震災の日、庁舎屋上にいて津波から生還した一人。「生き残った者として、亡き仲間がふるさとに戻ってくる時、ここに明かりがついてるよと示してやりたかった」と、照明を見ながら話した。
町では、華美な印象がある「ライトアップ」とは呼ばないとしている。
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