旧人や原人は絶滅、生き残った私たち 人類の「交代劇」のなぞに迫る

桜井林太郎

 いまの人類は私たちホモ・サピエンス(新人)だけだが、700万年の人類史では異例といえる。かつては旧人や原人など複数の人類が同時期に存在し、ホモ・サピエンスが旧人のネアンデルタール人などと交雑していたこともわかっている。なぜほかの人類は絶滅し、ホモ・サピエンスだけが生き残れたのか。人類の「交代劇」のなぞに、研究者らが挑んでいる。

 ホモ・サピエンスの誕生はいまから30万~20万年前。ネアンデルタール人などはすでにいて、10万年以上にわたり同時期に存在していた。

 大発見があったのは2010年。独マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ博士が、ネアンデルタール人の核DNAの解読から、一部が現代人に受け継がれ、交雑していたことを突き止めた。これらの業績で、22年にノーベル生理学・医学賞を受けた。最新の研究論文によると、交雑の時期は5万~4万3千年前ごろと推定されている。

運命の分かれ目に何が?

 両者の運命は約5万~4万年前に大きく分かれた。アフリカ発祥のホモ・サピエンスが西アジアを経由して、欧州やアジアなどユーラシアにも広がっていった一方で、各地の旧人や原人が絶滅していった。

 「交代劇」を説明する有力な説の一つが、米国の古人類学者、リチャード・クライン博士が1990年代に掲げた「認知革命」だ。5万年前ごろにホモ・サピエンスの脳神経系に関連する遺伝子に突然変異がおこり、高い認知機能を獲得したというものだ。

 このころ、欧州では細長い石製ナイフの石刃が増え、貝殻ビーズなどの装身具や彫像品なども発達した。例えば、5万年前の東アフリカのホモ・サピエンスの遺跡からはダチョウの卵でつくったビーズなどの装飾品が見つかっている。

 ペーボ博士のもとで学んだ太田博樹・東京大教授(ゲノム人類学)は「獲物を捕るための道具のほかにも、美しいものをつくるとか文化的なひらめきがあって、宗教的な萌芽(ほうが)が生まれた。神様のような抽象概念を理解する『意識のビッグバン』が起き、行動面での飛躍的な進歩を促したのではないかと考えられている」と説明する。

 ホモ・サピエンスはラテン語で「賢い人」という意味。高い認知機能を持つホモ・サピエンスが各地へ拡散して環境に適応したのに対し、旧人が対応できず絶滅したと考えられていた。

 ただ、太田さんは「魅力的だが、認知革命説は科学的に証明されたわけではない」とも話す。

 最新の研究では、ネアンデルタール人も装飾品をつくるなど、抽象的な思考法を持ち、高い知性を持っていたと考えられている。脳の大きさも変わらない。適応能力にさほど差がなかったのではないかという見方もある。

ネアンデルタールのミニ脳づくりも

 マックス・プランク進化人類学研究所などでは、ゲノム編集技術などを使い、ネアンデルタール人の遺伝情報を一部取り入れた大脳皮質のオルガノイド(ミニ脳)をつくり、生物学的な違いを探ろうとしている。言語能力に関わる遺伝子の変異が、コミュニケーション能力の差につながっていないかなどを実験的に調べる方法を開発している。

 太田さんは「認知革命説が正しいなら、脳に違いがあったはず。ゲノム解析という、我々は一体何者なのかを理解するための道具が手に入り、再現してみようという競争が世界で始まった」と解説する。

 認知革命は本当に起きたのか。名古屋大の門脇誠二教授は、考古学の手法で解明に取り組む。

 ヨルダンにある約7万~1万5千年前の五つの遺跡から発見された5千点以上の石器について時代変遷を調べ、英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに発表した。

 この地域はレバント地方(西アジアの東地中海沿岸地域)と呼ばれ、ヨーロッパで進化したネアンデルタール人が南下し、アフリカからやってきたホモ・サピエンスと共存していたとされている。

 石器は狩猟に欠かせない。だが、材料となるガラス質の岩石はどこでもとれるわけではない。限られた岩石からいかに効率よく石器をつくったか、刃部獲得効率(重さあたりの刃渡りの長さ)という視点で分析した。ホモ・サピエンスがユーラシアに拡散し始めたころの4万5千年前は石器は重厚で、刃部獲得効率が低かった。だが、4万年前ごろまでに石器の小型化が進み、刃部獲得効率が1.5倍程度に大きく上昇したことがわかった。

 このころの遺跡から、狩猟の獲物として、野生のウシなど大きな動物が減り、肉量が少ないガゼルやウサギ、鳥類など小動物が増えていたことがうかがえる。気候変動(寒冷化・乾燥化)や長年にわたる狩猟の影響などが考えられるが、動物の変化などに対応して、刃部獲得効率が高く、弓矢の先端などに使える小型石器の利用が広まったとされている。

 このころ、すでにネアンデルタール人などの旧人は全滅し、ホモ・サピエンスがユーラシアの各地で増えていた。小型石器は、中近東や欧州、中央・北アジアでも増えてくる。門脇さんは「(石器の小型化につながる)認知革命、すなわち突然変異が、各地のホモ・サピエンスで同時多発的に起きたとは考えにくい」。つまり、ホモ・サピエンスが広がった後に石器技術の革新が起きたとみる。

社会交流で文化の蓄積が進む?

 門脇さんが注目するのは「社会交流」だ。

 紅海から55キロ内陸の4万5千~4万年前のホモ・サピエンスのワディ・アガル遺跡で、海の貝殻が発見された。それ以前の同じ地域のネアンデルタール人の遺跡からは見つかっていない。「石器技術の革新よりも先に、広い範囲の移動や貝殻ビーズの交換を介して、協力的な人間関係が発達していったのでは」と想像する。ネアンデルタール人が生活していた欧州は高緯度で寒冷で人口密度が低かったのに対し、温暖なアフリカが起源のホモ・サピエンスは集団間の交流が多かったとみる。

 例えば、私たちがいまパソコンを使えるのは、生物学的に大昔のホモ・サピエンスより優れているからではなく、長年にわたる「文化の蓄積」という恩恵を受けているからだという。「石器技術の革新も、脳の突然変異ではなく、コミュニケーションを通して知識が共有され、時間をかけて複数の段階を経て、文化の蓄積が進んだ結果ではないか」

 西秋良宏・東大総合研究博物館長を代表者とする研究チームは、これまで積み上げられてきた考古学や民族誌、年代・古気候など多面的なデータを、数式を使ってモデル化して「交代劇」を総合的に説明できないかと取り組んでいる。

 西秋さんは「交代劇は地球規模で進んだ極めて複雑な現象で、生物学的な優劣だけでは説明できない。日本は世界的にもトップレベルのデータと理論研究の歴史を持っている。両者をつなぐ数学モデルを使い、文化の進化を説明したい」と話している。

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この記事を書いた人
桜井林太郎
科学みらい部
専門・関心分野
環境・エネルギー、先端技術、医療、科学技術政策