大報恩寺の国宝六観音 時を超えた信仰 由来に謎多く

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平野圭祐
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 大報恩寺(京都市上京区)は、市内を南北に走る千本通のそばにあり、地元では「千本釈迦堂」の名で親しまれている。奥州藤原氏の藤原秀衡(ひでひら)を祖父に持つ義空(ぎくう)上人が開き、仮堂から3年後、本堂の建立に取りかかった。国宝の本堂(釈迦堂)は、約800年前の鎌倉時代に建てられ、京都市街地で現存最古の木造建築だ。およそ100年ごとに解体修理が行われ、部材の補強や交換が行われる。堂内に入ると、応仁の乱で刀ややりの傷がついた柱に目が留まる。もとは本堂の外側にあったが、修理の際に中に移されたという。菊入諒如(きくいりりょうにょ)住職は「大きな戦や江戸時代の大火もくぐり抜けて残ったのは奇跡としか思えない」と話す。

 本堂の内陣に大きな厨子(ずし)がある。この中に、鎌倉時代を代表する仏師・快慶の弟子、行快(ぎょうかい)が造った秘仏の本尊・釈迦如来坐(ざ)像(国重要文化財)がまつられている。12月7日、8日の大根(だいこ)だきや正月の三が日、おかめ福節分会、お盆の六道まいりの年4回公開される。

写真・図版

 棟木に残された記録によると、釈迦の弟子の中で優れた10人を表した、快慶作の十大弟子立像(同)も本堂に安置されていた。現在は、寺宝が展示される霊宝殿に移され、間近で彫刻の美を堪能できる。

 その霊宝殿でひときわ目を引…

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