第1回「俺の死亡診断書を書いてくれ」 24年後に果たした保護司との約束
「うまくだまし続けたぞ」。思わず、ガッツポーズが出た。
12回目となる最後の面接が終わって、保護司の自宅を出たときのことだ。
大阪府河内長野市の医師、水野宅郎さん(46)。10代後半の生活は荒れていた。
始まりは15歳の秋。高校入学から数カ月で中退し、仲間と盗んだシンナーを吸うことに明け暮れた。
公園で吸引中に逮捕され、家裁で保護観察処分に。1年間は毎月、保護司の面接を受けるように言われた。
保護司の住まいを訪ねると、出迎えてくれたのは「優しそうなおじいちゃん」だった。
面接には休まず通った。そこでは更生に向けて、生活状況などを確認される。非行が再発したと判断されれば再び逮捕されるかもしれないと恐れていた。
だから、本当のことは話さなかった。
仕事について聞かれると、実際には無職であっても「運送屋で働いています」。直前までシンナーを吸ってもうろうとしながら面接に行ったこともあるが、「仕事でシンナーを使ってるだけです」とごまかした。
おじいちゃん保護司はメモを取りながら、うなずいて話を聞いていた。「運送って大変か?」などと尋ねる程度だった。
1年ほどで保護観察が終わると、先輩に勧められて覚醒剤に手を出した。
今度は18歳のとき、自販機荒らしや覚醒剤の使用で逮捕され、少年院に入った。
少年院には、静かな環境で自分を見つめる時間があった。「内観療法」と呼ばれる。身近な対人関係を中心に幼少期からの記憶をたどるうち、開業医の父の後を継いで医師になる夢を取り戻した。
そのころから、おじいちゃん保護司にうそをつき続けたことに、かすかな罪悪感をおぼえるようになった。
もう、謝ることもできない
「保護司をだましてしまい…
- 【視点】
筆者です。若干の補足です。 2人の保護司への感謝の念を語ってくれた水野宅郎さん。一方、日ごろの診療や自ら手がける子ども食堂で子どもたちと接しながら、現在の保護司制度に疑問を感じることもあるそうです。 「かつての自分のように、面接にどんな
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