「お前は生きろ」船とともに沈んだ日高丸・船長 洞爺丸事故70年
姫野直行 野田一郎
1954年9月26日夜、貨物船日高丸(2932トン)は函館港沖で沈没した。船と共に沈んだ船長姫野長吉(当時40)は、記者の祖父だった。
長吉は富山県立商船学校(当時)を卒業後、北海道函館市で国鉄に就職。以来、青函連絡船など船乗り一筋だった。きちょうめんな性格で休みの日でも天候を何より気にしていた。
その日は、台風15号の影響で前日から天候が優れなかった。夕方、記者の父で小学5年だった長男・洋一(81)=大阪府豊中市=は国鉄職員官舎の敷地内で友人と前日からの大雨でできた水たまりに木で作った舟を浮かべて遊んでいた。空は晴れ渡り、台風が過ぎ去ったと思った長吉の機嫌は良かった。夜の乗務のため制服姿で出勤する長吉がほほ笑みながらそばを通った際、「行ってらっしゃい」「おう」と声を掛け合った。それが長吉との最後の会話となった。
台風15号は本州に上陸後も…