パリで見た日仏バリアフリー事情 モノでなく人の文化とは

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後藤遼太

 1900年に開通したメトロに、古い石畳の街並み――。パラリンピックの舞台であるパリは、歴史ある街だ。大会にボランティアとして参加する日本人の視覚障害者が街を歩くと、駅のエレベーターの整備などに遅れを感じる一方、日本では見かけることが少ない習慣に日々助けられている。

 福岡市在住の松木沙智子さん(44)は、五輪からボランティアとしてパリに1カ月以上滞在し、選手村などで日本選手団のサポートを担う。

 先天性の「網膜色素変性症」という難病で、視野が徐々に狭くなる。いまは視野の中心だけが見えるが、暗い場所ではほとんど見えず、白杖(はくじょう)が欠かせない。いずれは全盲になる可能性が高い。

 「昔は、自分が『障害者』だとなかなか受け入れられなくて、白杖を持つのも恥ずかしかった」と話す。ロンドンのパラリンピックを見たのが人生の転機となった。

 「障害者の人たちが活躍している姿が衝撃でした」

 東京パラリンピックに関わりたいと調理師の免許までとり、選手村の食堂に採用された。ところが開幕の2週間ほど前、選手村から帰宅する際に転倒して足の骨を折り、夢はかなわなかった。

 パリ五輪・パラリンピックはようやくかなえた念願だった。

日本のバリアフリーの充実を実感

 選手村や競技会場が集まるパリの街中を歩いて気づいたのが、バリアフリーの遅れだという。

 日本では「点字ブロックをた…

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この記事を書いた人
後藤遼太
東京社会部|メディア・平和担当
専門・関心分野
日本近現代史、平和、戦争、憲法